何も残すことないわよ

【日記】            rv:20150520





このところ、本当に寒い。
4,5日前、珍しく夕食後吐いた。特に体調がおかしかったわけでもないのに。逆に、あまりにいろいろのことをやり過ぎているためか、とも思う。
そこでしばらく飲酒も謹んでいる。


このところ、本当に寒い。
こういう夜中でも、犬の散歩をさせる。
そうしながら、黙然と考える。


本質的なことを語りたい。
日常、だべっていることがあるのだから、ブログもそれでいいんじゃないかという気持にもなるが、「どこにそんな余裕があるんだ?」という気持ちも抜けない。本質ではないように思えるからだ。
では本質とは何だ。


何億年もいかずとも、この地球も消滅するのだろう。一生懸命、永遠に残るものをと信じて何かを生み出すのも馬鹿のように見える。当然、生活の楽しい面を殺し、永遠の仕事と信じて苦行を積むことも馬鹿らしい。
生活の楽しみの中に自然に残る仕事を生み出すのでなければ、何の意味があろう。それが本質なんじゃないだろうか。
でもそう諦念できるほど、その考えに自信が持てるわけではないのだ。苦しみの中に生み出すものでなければ何になろう。そこでまた、これでいいのかと悩み出すわけ。



大体、僕の仕事は拡散し過ぎた。今は整理するのも大変だ。
身近な世界で視覚表現するしか能が無かったのに、社会を変えようなどと大それたことも考えた。
知識、能力共に大したことないのに、団体の理事長などに押し上げられて、その気になっていた。
しかし、それももう自己歴史のうちだ。
その体験を活かして踏んばるしかないのが実情だが、能力もないので整理がつかない状態なのだ。カネを生まないこの仕事に、能力のある人を雇うわけにもいかないのだ。
やりたいことは山ほどあるが、どれもそれなりの独立峰のおもむき。踏み入れたら相当の深いジャングルのように見える。その一方で、ほかの未知の山の未踏査ルートを探しているといった按配。


ある先輩に、「ここまでやったのにまだ求めている。それは欲張り過ぎだ」といなされたこともあった。
そうなのだろう。もう、あまりにも身の内にいろいろのものを抱え込んだ。新たな行動を起こさず、静かに消化を待つ時なのかも知れない。


それにしても、家内が高いところからもっともなことを言う。
「残してどうなるの。非常に有名になれば誰かが、あなたの歴史を拾い上げてくれる。そうでもないんだから、もうあきらめて身辺整理をしなさい。身の回りのものはどんどん捨てて身軽になって。何も残すことないわよ」