考え方より人脈づくり

【日記】


新しい情報、知識とは何だ?

過日、自分がかって理事長だったJIDAの地域総会があり、招かれて自分の仕事の話をした。
その前に、会場に来る今の会員のほとんどが当時のことを知っていないと思い、最近の関連ある動きのもとになっている、自分が当時(2003年)書いた朝日新聞の記事のコピーを持参して配った。
それは「日本を社会美の先進国に」という見出しの、写真入り6段記事になっている。


今、改めてそれを読み返してみると、何も本質的には感じ方が変わっていない。
それは人間として当然だろうが、では、この13年の間は何をやっていたのだろう?
新しい情報や知識とは何だ?


判ることは、先行して考えを述べたことはいいが、それをフォローするにはどうやら別の才能が要るということだ。
全くの推量で、自分には大きく欠けるとの思いから言うことだが、それは人を動かす才能である。
それは人脈であり、コネであり、そのためにカネをばらまくことであり…といったことだ。何もない者にとっては、判りやすい例が「爺(じじ)転がし」だったりするのだろう。


今、気が付いてみると、成功者と言われている人物の周辺を知っていることが多くなり、ほんのわずかのことだが、その微妙な差を感じることが増えている。
こんなことを書くのは自分の恥だし、皆それぞれ、恥を忍んでへこついているのかもしれない。それにメディアへのすり寄りなどは、自分の問題ではないと、長い間、思ってきたのも事実だ。それにしても、最近のメディア人種からして、これほど「名前」に弱いとは思ってもいなかった。


自分がこの方面に才能がないのは仕方ないし、そんなこと、潔いことだと思ってこなかったのだからどうしようもないが、10年以上も同じステージにいるだけだとしたら残念な気持ちにもなる。やはり物欲的な発展も無視できないのは悲しいけれど。
その間に、僕の考えを転用する形で社会や学会で喋っているんじゃないかと邪推するような人物も出てきているし、社会の流れが少しづつ、自分の感知してきた方向に合ってきていることも感じている。


先回りして発言してきても、自分が何らかの方法で(それがコネや人脈とタイミングだ)、舟を用意しなければ、潮の流れに乗れないことになるのだ、ということが判ってきた。
それは考え方の純粋性、新しさ、あるいはいい仕事ではなく (もちろん、いい仕事に越したことはないが)、人たらしという別の作業(能力)だったのだ、と思ってみたが、やはり違うかな?