行ったら面白い場所もあった―高野山

【日記】



「行ったら面白い場所もあった」とは、どこだ?


唐突だが、それは空海開祖の高野山墓所奥の院)。
面白いと言ったら、あまりに失礼な言い方かも知れないが。12日にはここに居た。


我が国の諸大名、藩主などがこぞって墓所に求めたこの場所の霊気に打たれた。
高野山の全容を知っているわけではない上、歴史の流れにはかなり疎いので、とても正確には説明できない。
だからそこは素っ飛ばす。誤りが解れば後から正します。


空海が経文だけを持って地下3mの穴に入り断食往生した、という場所の前に御堂が立てられていて、それがコンクリート造りになっていたのはがっかりだが、そうでもしなければこの地下室でその近くまで行ける建物は出来なかっただろうとも思う。
このあたり霊気が漂うというのか、千二百年あまりも前の個人の歴史が現在に生きていることの厳粛なる事実を感じてしまう。こんなところに籠っていたのか。


ここは急峻な山岳で千m級の高台。辺りは深く巨大な杉林の丘陵で、一面に、四角の上に丸団子状の球体、その上に人家の屋根風の六面体、その上に…といった大小の墓石が並ぶ。これは人体をかたどったものだそうだ。その墓石の多くは由緒来歴のあるものだという。


案内の人が、最近、織田信長の墓石が特定されたという話をし、「あの墓の間に見える卵型の石が見えますか?あの小さい石が信長の墓です」と言った。
信長は延暦寺焼き打ちのあと、高野山焼き打ちを狙っていて果たせなかったが、自分の墓は高野山に埋葬されることを望んだのだそうだ。当然、高野山の受け入れるところとならず隠れ墓所となっていたようだ。最近、大学の宗教学者が何年もかけてこの地の墓石を全部調べ上げて特定した、あるいは発見したのだという。


こんなところで、こんな話が続けば、時代を超越してしまう。
おまけに降ったり止んだりの雨模様。墓石は苔むし、濡れていた。まるで歴史がむせているようだった。


人はなぜ、墓を求めるのか。それも巨大だったり、物凄くカネのかかったような墓が多い。
先代供養とは、習慣でないなら宗教感の充実がなければならない。それで始めて、墓石が習慣の物神化に過ぎないとは言えなくなる。
墓石にかける人間の思いに振り回されることになった。