J@「おしっこはシャワー中に」

【住いの話】


閑話休題でいいですか。
難しい話が続きますが、軽い話題を入れます。


「おしっこはシャワー中に」で話題になった件につき。
発想のべ−スにエコがあるようなので、ここまで話題になったということでしょうが、ディカプリオとも交際していたスーパーモデルのジゼル・ブンチェンの発言(ネット・ブログ)だから、ということでもあるようです。


いいアイデアだと思いますが(とは言っても非常に抵抗感のある人もいるでしょう)、常時家にいるわけでもないし、常時シャワーと一緒に「したくなる」というものでもないですから、在宅時などにたまに起ることではないでしょうか。


少なからぬ欧米人はよくシャワーは使いますが、入浴はあまりしません。一年に一度も風呂に入っていないという女性もいて、彼我の違いに驚かされます。
ですからシャワーはかなりの必需品なので、ここから、おしっこもという発想が生まれるのでしょう。ということは、言われるまでもなく、とっくにそうしているという彼らは多いのではないかと推測されるのです。
それにしても、常時、裸になるということですね。
これも彼らはベッドに入る時も裸になるケースが多いので、シャワーにつかりやすいということでしょうか。


どういうわけか、裸になってお風呂に入ろうとすると急にトイレに行きたくなるということがよくあります。実際には、一湯浸かっているうちに気持ちよくなって、行きたくなるということの方が多いのかも。
このために浴室とトイレは必ず隣あわせか最至近に設計するのが常道ですし、ユニット浴室ではとうとう洗い場の一部をトイレにしてしまいました。


裸と排泄の結びつきは、人が裸になって急に動物的感覚を呼び覚まされるということでもあるかのように自然です。
日本ではトイレを不浄なものとして扱ったことが、心理的に体を清める入浴と距離を置く風習になったのでしょう。そこには肥料のために排泄物を溜めておく習慣から、腐敗や虫の発生となり、衛生上の隔離問題になったのだと思われます。
浴室を造るのはこうして排泄とは別の問題となり、しかも多湿から汗を洗い流す必要となり、更には入浴での気分転換にまで発展してきました。


入浴して発汗、また入浴して再発汗となると、北欧のサウナを思い出します。
彼らは十分熱くなった体をつめたい湖に投げ込んで、生気を確保しているようです。こうなると欧米人は、とは言ったものの、国民性、地域性によってもだいぶ様子が違いそうですが、おしっこをシャワー中にするような「合理性」とは無関係の問題がありそうです。


私は設計の中で浴室には、浴室だけでなく出来るだけ広い(物理的に、という意味だけではない)脱衣室を造り、入浴後の裸のままでのくつろぎの時間を過ごせるようにしたい、それに出来れば、浴室も脱衣室も出来るだけ戸外に近づけたいと願っています。設計していて戸建住宅の場合に限らず集合住宅でも、外気に接する窓のない浴室は絶対に作りたくありません。
日本人の浴室文化をより拡大させたいと思っています。「おしっこはシャワー中に」も、この文化観の中に含まれてきます。
これは裸を通してのストレス解消の問題だと思っているからです。