家族の姿
【日記】
ひょんなことから家族談義
昔、有名だった映画「エデンの東」のストーリーは、アダムとキャルという二人の息子の父親との相克を描いている。
当時、高校3年だったと思う僕には単なるストーリーでしかなかった。
聖書の話は弱いが、旧約か新約のどこかにある物語がテーマである。
この年になって、父親と自分(息子)というのが思われる。
親父のようにやっていてはだめだと思いこんで、父親を無視してきた。
でも、親父の死の間際には、何かわかったような気がして話し込んだものだ。
息子と母親を見ていると分からないことが多い。
親子の壁を作るな、というのは当然だが、家内も息子も僕が壁を作っているという。
芸術家だからある程度仕方がないと思っている、とは息子の弁。
古いおやじなら、何を若造がぬかすか、と思うだろう。
家内には僕が作っている壁が理解できない。
そもそも「息子の前で亭主をなじるな」という僕の妻へのコメントに対する反発が発端。
親子は最後の核なのだから、いいたいことを言い合うのが当然、とのこと。
僕が何かを隠しているかのようにとられている。というより身勝手すぎるということだ。
そのことに反論は出来ない。「じゃあ、言いたいことを言ったら」となったが、それでいて釈然とした気持ちにはなれたわけではない。
夫婦間、親子間の問題でも、それが正しいからと言って、簡単に説明しきれるようなものではないと思うが。
アダムとキャルの画面を思い出して、他人の預かり知らない二人の苦悶がすこしはわかるような気がした。