大変だ!
【日記】
「まさる」の命:ご迷惑な話かもしれないが…何で設計ブログにこんなことまで書くのか、という気持ちもあるので。
命あるものの消えゆく悲しみは、どんな生き物でも同じだということか。 しかも16年あまり一緒だったので…
去る4月9日に、心に残ることでもあったのか、飼い犬の16才(人間なら90才とか)柴犬「まさる」について、このブログに書いた。 犬のことなど「構っちゃいられないよ」と言っている私のことだが。
それがまた、書くことになった。
5月6日、午後2時過ぎ、「まさる」が自宅の高さ6m半余の3階のベランダ床から、地上に転落した。
すでに記したように盲目に近い。居間の家具や壁にぶつかって、行く道を確かめている状態だ。
テラス窓をわずかに開けたついでに、網戸も開けたことがいけなかった。
北側のテラス窓には30センチほどのベランダの出があるが、これは窓ふき程度の利用のために出してあるもので床はプラスチック・グレーチング(穴あき構造踏み板)、子犬の足なら落ち込む大きさだ。手すりに壁は無く、フラット・バー(平鋼)組みの簡単なもので、30センチを越えればそのまま落ちる (これは設計の手違いというべきなのか。この住宅についての自分の設計思想では、当然こうなる、というのが自宅設計の身勝手都合。建主が希望しなければ当然、対応策を考える)。どういうわけか、穴には足が落ちなかったようだが、他の3本があるので、こういう場合人間とは違うようだ。
家内の悲鳴で2階から覗くと、隣家の庭の壁ぎわで横倒しになって、キャンキャン、弱々しく悲しそうに啼き、手足をばたつかせている。幸いなことに土の庭だった。ただ、30センチのベランダが境界ぎりぎりであることが示すように、境界線上にブロック塀があった。ここにぶつかって落ちたのかどうかは分からない。
「生きている!」
とっさに隣家に駆けつけ、庭に入れさせて貰った。前足は二本とも硬直し、ペニスがつき出している。見た目の外傷はなかった。
抱きかかえながら、近くのアニマル・クリニックにタクシーを拾って駆けつける。
後の記述は困難を極める。
X線診察所見では、首下の背骨と、肺の中央部あたりの背骨が挫傷しているとのこと、能や骨の更なる損傷度合いについてはMRIを撮らないとわからない、手術も大きな動物病院でないと無理とのこと。すぐに紹介されたが、日曜日なので休診、明日7日と言われ、ギャフン。その日はこのアニマル・クリニックにあずかってもらった。板の上に寝かせて尿道カテーテルを入れる。
翌7日月曜を待って、息子と玉川沿いにある、この大きな動物病院に板乗せのままつれてゆく。
獣医との対話。
まず、飼い主さんの希望を伺って、とのことで始まったが、結局、
「90才という年から考えて、手術はどんなものか。高令ということから、犬への手術の負担が大きく、治るという保証も出来ない。数か所の手術になるから、治療費用も170万位になります(!)。MRIにしても、治療という目論見があればこそ意味がありますが、これも全身麻酔をかけるので簡単なことではありません」とのこと。
金は掛るとは思ってきたが、まさか170万とは。カネのことではないとは言えたとしても、絶望的。 「かわいそうなまさちゃん。ご免ね」と泣き崩れる家内に、説明のしようも、気付けの方法もない。
結論は、このまま衰弱を覚悟で様子見しかない、ということに。
「安楽死にはまだ覚悟がつかないでしょう。介護に疲れたり、どうしても見ていられないという時まで、待ったらいかがですか」とのアドバイスだった。
これって、本当に人間に置き換えて考えてみると、他所事ではない。
犬一匹で家族が振り廻されている。
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