ネットビジネスの世界

【論】


How does it come to, when every intellectual business can be done through internet intelligence?


ネット情報でほとんどの知的商売がなされるようになったらどうなるのだろうか。


最近は「まずネットで検索」が当たり前になっている。
そうなるとネット情報を完璧に作り上げた者がビジネス勝者と言うことになる。
例えば建築設計でも、あらゆる手順をきめ細かく記述し、経費の明細も記載、その上で質問や相談欄、現場見学会などを設ける。住宅を建てようとする人はこれらを仔細に検討し、他社比較もできる。


計画行為とはこのことだろう。予算が限られている以上、また実績が判らなければ不安である以上、ネット情報を食い入るように検索する。
これで望む情報が得られるなら「入口ですべて決定してしまう」。
更に言えることは、ネット情報のアクセス数による好印象評価とか、意図的な広告性の発揮による誘導により、ますます「本質でない部分(デジタルデータということ)」で成果の評価が決められていく。
幸か不幸か建築は、施工まで2社以上で競わせて、出来たものを見てどれかを選ぶことは出来ない。だから入口に入ってもらえばもうこっちのものだ、と思っている業者や事務所も多いはずだ。どんなものが出来るかは比較できない上に、出来たものを使ってみなければわからない以上、後は善意を尽くせばお客さんは逃げないと思えるからだ。
そういうことならネット整備と技術バックアップ、そのためのデータ準備にいくらカネをかけても意味があることになる。
かくして「入口の賭け」となるビジネスについては全くのデータ蓄積競争となり、それが格差の拡大につながっていく。


しかしこの先行決定により、最後の結果の本当の良し悪しは誰にも判らないのだ。
一生に一度の大きな買い物の人もいるだろうに。


でもコスト、素材、設備の基本比較ベースを受け入れた上で、この最後の具体化された空間の本当の良し悪しを、先回り図面上であるところまでは読み解けると思っている建築家もいるのだ。これだけはコンピューターでも出来ないだろう。そう思ってクライアントに対すること自体が、デジタルならぬアナローグ・イメージで顧客をだますことだと取られても、これも証拠が提示出来ず反論のしようがないが。
それでも、自分こそ「最後の成果が見えている」と信じているから、建築なんぞの難しいことをやっているわけだ。
で、そうなら、必要条件の基本設定が済んだら、空間の良し悪しから入るのが一番その良し悪しを先行判断する鍵になるという逆の見方も可能なはずだ。
そのためには、このネット社会の本当の落とし穴を市民が承知するようになり、また市民の享受する感性価値判断も上がるのを待ってでしか成り立たないのだろうか。
そんなはずはないと思ってクライアントを求める日々だ。