わからないセザンヌ(前年4月28日の簡略リライト版)

【新トーク:アート】(写真:セザンヌの絵)





どこに評価の真髄があるのか―わからないセザンヌ


セザンヌの実作を目の当たりにして、絵の具のキャンバスへの「ノリ」とか筆のタッチを見ていると、実感としてどこが「大家」なのかよくわからないような気にさせる。どうも素直に惚れる絵でもないような気もしてならない。どうも「本質的に」面白くない。絵を「隠し事」の舞台にしているようにも思えるのだ。


もちろん絵に「表現されているもの」だけを見てのことで、美術評論家が言うように、「歴史的に見て、『唯一、無二の作品』を生み出した」ということでは「大家」なのだろう。「表現されているもの」だけとは、キャンバスの上に出された色調、陰影、筆のタッチ、形状、構成、雰囲気などのことであり、「歴史的に見て、『唯一、無二の作品』を生み出した」とは、動機、目的、時代背景、周辺事情などのことである。
そこには、作品そのものの持つ魅力(ベンヤミンのいう「アウラ」のようなものか)があるか、ということと、時代とその背景を加味した作品の歴史的位置付けが必要であることの二層の価値の分析判断が必要であり、後者の方の評価は大いに認めるが、問題は前者の方にあるように思えるのだ。ということは、時代の大きな変遷の中でセザンヌは自分の作品を説明するのが凄くうまかったのではないか、という印象にもなってくるのだが。その方での大きな努力を跡付ければ見えてくるものがありそうだ。

一般に判りやすく言えば、かなりの田舎者の、それだけに執念深い、割と単細胞の努力家、センスも格段にいいわけではない、デッサン力にも疑問が残る、ということか。銀行資産家の父親が心配したのも無理もない?
セザンヌが出身地のプロヴァンスとパリの間を終性20回も往復滞在し、そこに考えと行動のベースが出来上がったということは間違いなさそうだ。また同業のピサロ、文筆業のエミール・ゾラという二人の俊秀な友人に恵まれたことも凄く大きそうだ。

確かに彼は、この時代の少なからぬ前衛画家が思ったように、そして実際そうしたように、描写力を深める必要はない、と思ったのかも知れない。印象派時代に特徴的な絵画の分解・分析実験を取り入れ、新しいことなら何でも受け入れ可能の時代風潮との巡り合わせ。田舎者故のある種の鈍感さによる理性の優位。ルーブルに行けば溢れるような數の超精密観察の絵画に出会う。それよりもっと大切なものがある―それは個人ならではの感性の表現だ―と自認して、意図的に軽視したのかも知れない。その根底にあるのは、彼が画面上の魔力となる描写の精神的魅力に取りつかれるほどの力(ある種の職人バカ)が無かったからかもしれない。
田舎者で、しかもパリで頭角を現わすために、セザンヌはどう出たのか。
すでに見た通り、彼は巴里を居住のベースとしなかった。以下は専門の研究家の意見。
「彼は、パリの作法を身につけることを拒んで、こうした社交界に属さないということを明確にするため、プロヴァンスの粗野な人物を演じたのであった」

それにしても、そういう立場を貫き押し通してしまったところは凄い。といことは、歴史を良く読んでいるとんでもない憎い奴ということでもあるのか。
普通なら、ああか、こうか、これでもよいのか、等と思い悩んで描画できなくなってしまうことも十分考えられるからだ。事実、そうして多くの芸術家が自分を見失ってきたのだ。
それは時改まって、現代のような大変革の時代にもぴったり当てはまりそうだ。むしろ芸術家がクリエイターという拡大した概念で社会とかかわり合う必要が出てきたこの時代は、本質的な意味で、もっと自分の進路を明確にすることが難しくなってはいないか。

(本内容は2012年4月28日付、本ブログ「わからないセザンヌ」の簡略リライト版)