マネー資本主義の終焉

【日記】



遊びやくつろぎを分離した労働が壊したマネー資本主義の大転換期へ




このところ、妙に熱に浮かされたようなことを書き綴ってしまったような気がする。
時間が取れたので、考えが深められたのかも知れないが。
でももっと、気楽な話をして浮き上がりたい。
とは言え、どうにもいろいろのことが気になてしまい、心は安らかではない。


近代化の意味を問う評論家の渡辺京二さんの記事が出ていた(朝日新聞8月23日「生きづらい世を生きる」)。1930年生まれだと言う。83才。しっかりしている。
こう言っているところがある。
「人は社会から認められ、許されて生きるものではない。そもそも社会なんて矛盾だらけで、そんな立派なものじゃない」
「『自己実現』という言葉に振り回されている気もしますね。それは、ただの出世の話でしょ。社会規範にうまく適合し、基準を上手にマスターし、高度資本主義に認められたステータスに到達したというだけのこと。自分の個性に従って生きれば誰しも自己は実現されるんです」


就職難やコスト・カットからしか機能しない非正規雇用の時代にあって、社会から認められていないんじゃないかと悩む若者の話から出ている発言だが、一般にも十分通用する主張だと思う。
本当に、「生きづらい世を生きる」時代になったのは実感だ。
サブタイトルに「資本主義の深化が共同社会を壊した。まだ成長が必要か」とある。
このところ疑問符がつけられている現代のマネー資本主義に対する一投である。
「資本主義は一人一人を徹底的に切り離して消費者にする。その方が人はお金を使いますから。生きる上でのあらゆる必要を商品化し、依存させ、巨大なシステムに成長してきたのです」
「・・・何よりも(経済的繁栄は)貧しさを克服した。・・・しかし、近代は人間を幸せにすることには失敗しました。人間に敵対的な文化になってしまった」
「・・・近代はその(成功と繁栄の)行程ほぼ歩み終えたと言っていい。まだ経済成長が必要ですか。経済にとらわれていることが、私たちの苦しみの根源なのではありませんか。人は何を求めて生きるのか、何を幸せとして生きる生き物なのか、考え直す時期なのです」