根底では同じことを言っている
やっと、しばしのゆとりが出来て、考えると…、
今年のゴールデン・ウィークも、観光地はどこにも行かなかった。本当に、人や車につかれてしまうのだ。
今年は特に、前述したように(4月23日の自宅売却の想いをつづった件「消滅か更生か」)、疲れがどっと溜まった感じで、本当に何もせず、静かに過去・現在・未来を見つめようと思って過ごした。
そんなことで、時々、ランダムに過去のブログ記事を開いてみている。
それで判るのは、6、7年前の記事を見ていても、もう今とほとんど考えが変わっていないということだ。
例えば上記4月23日に、次のような下りがある。再録すると、
「…とは言ったって、また余談になるが、現在の社会的知名度が、この価値体系の大変革期を経て誠に歴史的に評価、保証されるのか、判っている人がいるのだろうか。皆が同じ教育を受けて創っている同質の日本社会で価値判断して来ている以上、意味もないのかもしれないのだ。逆に言うと、新しい社会提案を評価する人も、それを受け入れるシステムも未成熟なまま、ということだろう」
、
これはいいかえると、自己実現に関わる難題について語っているのだが、2013年、5年前の8月25日の当ブログ記事「マネー資本主義の終焉」に、渡辺京二氏の新聞記事だが、次のような引用があった。
、
「・・・『自己実現』という言葉に振り回されている気もしますね。それは、ただの出世の話でしょ。社会規範にうまく適合し、基準を上手にマスターし、高度資本主義に認められたステータスに到達したというだけのこと。自分の個性に従って生きれば誰しも自己は実現されるんです」
これに見るように、もう、あちこちで関係することを記述している気配がしてきた。もっとも同じ人間がしゃべっているのだから、根底では繋がっていなければおかしいのだが。その意味では、このブログも何らかの整理をする時期に来ているのかもしれない。
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