建築の「根本」を見つめ直す
【日記】
ベネチア・ビエンナーレ国際建築展の紹介
上記「建築の・・・を見つめ直す」は最近、従軍慰安婦問題でとみに評判の悪い朝日新聞の8月27日水曜夕刊版、大西記者の記事タイトルだ。
美術展と建築展を毎年交互開く、この展覧会を見てきた印象だが、いくつか時代を表わすキーワードがあるので、それを拾いながら、自分のコメントも。
「全体を指揮するディレクターは、デザインと理論で世界の建築界を引っ張るオランダの建築家レム・コールハース(69)。展示にもその剛腕ぶりが表れている」
今年は、かなり会場の印象が違うようだ。彼の作品はいくつか見ているはずだが、「剛腕ぶり」は当たっている。でも仕事は感心しない。理屈と行動力は凄い。
今年のテーマは「ファンダメンタルズ(根本)」。
「過去のビエンナーレは現代性を扱ってきたが、今回は歴史に焦点を合わせる。建築家ではなく建築のための展示にする」として「『近代化』の検証を求めた」。なるほど。で、「調査や研究を重視し・・・祝祭性や先端表現の紹介とも距離をとった」。だから彼自身が企画した「建築の概要」として、建材メーカーの総合展示場のようなものを、建物断面で見せるなどの工夫で見せたらしい。
この企画には同感するものがある。建築家をスターにするような企画(それも時代変化を読み取って提案をする無名の建築家を拾い上げるのでなく、既得権的なスターを又もや取上げるような企画)には、もうあきた。
「スター建築家に代表される祝祭性や現代性、アート性を遠ざけ、コールハース色に染め上げた今回。こうした方針や研究色の強さ、統一感は次回以降どうなるのか。建築ビエンナーレ自体の歴史性も考える時期に来ている」との大西記者のコメント。
同じページに、ニューヨークでの「ジェフ・クーンズ回顧展」の紹介もある。「レディーメード(既製品)の美学」が基本。デュシャン、ウォーホルの直系の子孫だ。とても気になる。でも同じことをやる気はない。 (以下、「」内論評は美術史家・富井玲子氏)
「アートを完全に市場の商品として考える作家だ。イタリアのポルノ女優と結婚し、妻との性交シーンを壁画大のシリーズ『天国でつくられた』に描くなど、話題には事欠かない」。ヌードやセックス・シーンは古今のアートでの経過点。余談だが、今月の「芸術新潮」の特集が「男と女のヌード」。
「ウォーホルが機械的複製のシルクスクリーンを使ったのに対して、クーンズは『作ること』に執着し、私たちに『見ること』を要求しつつ、消費社会の意味を問いかけてくるのだ」。
既製品をそのまま使った作品もあり、フーバー社の新品家庭用掃除機(もっとも、あの袋つき戦後の商品だが:大倉)を何台も照明つき透明プラスチックボックスに入れるとか、「発注型の作品では」チューブ風船状の3mもある巨大な犬の模型を作る。「バルーン・ドッグ」という。「巨額を投資して開発させた究極の鏡面ステンレス素材と透明顔料を使い、細部にもこだわりながら完璧なまでに自分の納得する作品に作りこんでしまう」
ついでに「半世紀 色あせぬデザイン」として、「ジョージ・ネルソン展」の紹介もあった。これは、自分の屋台を覗かれたような気持で、すでに見ている。そういえば、この展覧会の企画者の女性に手紙を書いたが何の音沙汰もない。
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