リスポンに誘われて

【日記】  ――永遠と喪失の狭間で――



理屈っぽい話は置いておいて…映画の話をしよう―2




ここまでは先週のイントロと同じ。意図的に映画続きとしたかったのでそうした。
今回は「リスボンに誘われて」で、同じ東急ル・シネマでの上映。「グレート・ビューティー」を見た時に翌週がこれ、ということを知った。
もっとも――永遠と喪失の狭間で――を残したのは、大きな意味違いで、この映画はまた「グレート・ビューティー」とはまったく違う永遠と喪失の感動を呼ぶ。それは「埋もれた青春への旅」なのであった。
「人生を導くのは偶然だ。残酷さと思いやりと眩惑的な魅力にあふれている」
この言葉はこの映画のキーとなる、発見された小さな本の中の記述である。この一言はまさしくこの映画の本質を言い当てている。

誰にも想い出せば懐かしさのあまり涙ぐむような過去や、恥ずかしかったり、苦痛のあまり、想い出したくないような青春がある。この映画の永遠とは、より具体的で身近な人生のサイクルの中のことであり、喪失とは、その想い出したくなくても消えない自分の過去を、それでも消したいと願う願望とでも言っておきたい。

ベルン(スイス)のある高校教師が出勤の途中で、橋から飛び降り自殺をしようとしている若い女を助けるが、いなくなる。この女のコートにあった本が深い共感を呼び、そこに挟んであったリスボン行の乗車券を頼って駅にこの女を探しに行き、衝動的に走り始めた特急に乗ってしまうという設定で始まる。
リスボンでこの本の著者を訪ねるところから、過去のフラッシュ・バックが多用され、それは1970年代にあったポルトガル独立運動の想い出につながっていく。

ここからは また同じことだが、映画の内容の説明や解説をしても始まらない。周辺事情や、自分のことを語りたいと思う。
(続きは後述)