火災と「デザイン」

「クリエイティブ〔アーツ〕コア」 読後感の続き

ある行政関係者からの褒め頂いた読後印象にお礼を述べようとしていた矢先に、昨夜、東京デザインウィーク会場での火災のニュースが入り、その数時間前にそこにいたので、一瞬ショック。そのことを、「デザイン」という用語の使用についての想いから、お礼に加えてしまった。それを転載する。



Ⅿ部長様

わざわざ感想をお寄せ下さり、恐縮に存じます。
いろいろの読後感を頂いていますが(了解を得た分の一部を自己ブログに紹介)、これでもまだ専門的か、と反省しています。


余談ですが、昨日、東京デザインウィーク会場での、5歳の子供が焼死したジャングルジム風木製「遊具」火災の3時間ほど前に、この会場でこの「デザイン」を見ていました。
発生原因や責任者問題はともかく、「だからデザイナーなんかには危なくて任せておけない」という認識が広がることを恐れています。
火災発生後も会場は閉鎖されなかったこと、一般入場料2500円は子供連れ1人、2人、それ以上でどんどん割引されること、小学3年生程度までは潜れるが、何かあった場合、このジムは大人が中に入ることは出来ないこと、この「デザイン」に白熱球で照明を与えたこと、などを考えると、デザイン学生ならず、認識力の低い(アートとしか理解しない)デザイナーやプロデューサーが陥りやすい問題が暴露されてしまったのです。
このイベントには10万人が訪れていますが、「デザイン」の上澄み調子に乗った商売上手で、ある意味で理解が広がるのはいいと思う一方、これだけで「デザイン」だと思われては困るという気持ちも増していました。
自著では、このように安易に一般化した「デザイン」という言葉を出来るだけ使わずに、と思っていたために、心配が的中したような事件でした。
私の主旨は「創造力を軽く見るな」ですが「創造のすべてに責任を取れ」ではありません。現代社会は超複雑な社会・産業構造になっているから当然、創造者だけで責任を取ることなど出来ません。多様な専門家が分担責任を取るべきなのですが、「まとめ役は本当の創造者にせよ」ということです。もちろん、この創造者は感性的に、危機も、季節も、エネルギーも感知しています。


文化行政を進める場合、この「デザイン」という言葉の扱いに、関係者の先行認識修正か確認が絶対必要になることをご理解頂ければ、本書の核心は理解して頂いたことになります。
地域の産業人にも、「デザイナーには飽き飽きしている」と思っている人がたくさん居そうです。本当に悩みです。
目の前の事件から、ちょっと気持ちをお伝えしました。

Ⅿ部長様の一層のご活躍を願っております。






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