「日本の家」展を見て(その4)

10/29付記: すでに関連発言をしている (10/9、10/13の当ブログ参照)ので省こうと思ったが、敢えて、●印の項目を1B、5Bとして追記● 
(なお、本題に直接関わらないが、文中(*)印の3か所について、関連付記として最後にメモを残している)
10/30付記:項目8を追加。





もうこの辺で止めようと思いつつ、どうしても言ってみたくなった一言…


「続くか、『実験住宅』の百年」
Will it be followed? One hundred years of the Jaspanese "Trial houses" after World WarⅡ.




「日本の家」展を見て、と書いてきて、なお思うことが2つある。
一つは、「何か言うなら自分でやって見せたらどうだ」という人がいそうだということ。異存はない。タイミングがあれば、いつでもやって見せる気だ。ただ信頼してくれる建主、追い込んだ上でも納得し合える設計条件が必要。
そういうと、「何だ、逃げているじゃないか」と来るかもしれない。
ここが、思いつく2つ目に繋がる。
結論から先に言おう。「日本の家」展をみて、更に最近の「日本の家」に当る住宅設計の見える姿を目の当たりにして、今、日本の(ある領域の)住宅設計事情は、敢えて言えば、追い詰められて突貫する「実験住宅」の継続中ではないのか?ということだ。
「逃げている」と言われても構わないが、現在の住宅設計事情の「巨大で複雑怪奇な明るい闇」とでも言いたくなる社会事情を承知すれば、善意に捉えるほど「実験」市場であることが納得できるのではないだろうか。もっともこの前の本記事(その3)で既に「実験失敗住宅」という(失礼かもしれない)言葉を出している(もちろん素敵な住宅も設計されている)。私事だが、この分析が住宅設計へのアンビバレンツな気持ちを増長させている。


なぜ「実験」というのか。
そこには戦後から現在に至る72年の間に起った激動の社会変動に飲み込まれてきた(?!)ここでいう建築家たちの必死のもがきが、住宅という「題材」を対象に、出来ることを思い切りやってみるしかない、という心情を植え付けたからだ、と言いたい。それをマジで「実験だ」と言ったら、カネを払う建主が承知すまい。だから「実験」という言葉は伏されてきたのではないか。
このことを「日本の家」展企画の成果という形で建築家を擁護する言い方をすると、「儒学者の穂積以貫の言葉、『芸といふものは実と虚との被膜の間にあるもの也』(に見るように)……実に寄り過ぎることなく、創造性を遺憾なく発揮することで生まれた」芸である、となるだろう(建築史家・村松伸:9月26日、新建築社青山ハウスでの公開シンポジウムにて。林憲吾東大生技研講師記事:「住宅特集」11月号)
戦後からの事情は「日本の家」展企画で、塚本、藤岡、保坂三氏がまとめた系譜と分類の中で、ある時点、ある認識まで十分に語られて来たと思う。それが、上述のようにちょっと視点を変えると、ガラリと違った観点になってくる。ここではこの落差を承知しておいた上での「実験住宅」視点からの論点提示である。我流な考え方かもしれないが、言い換えれば「新しくなければ(変わっていることも含む)やる意味がない」論理の主導化である。
その「実験」の底辺を作っている社会状況を拾ってみよう。


1・大きな歴史の流れで見れば、60〜70年程度で人間の生活習慣の根本はそんなに変わるはずがない。変わったのは経済変動に突き動かされた日本人の特に戦後からの価値観である。建築家が生活習慣でなく経済的価値観を基準にするようなったことが問題を発展させ、「(作家として売れるためには)変わったことを示す必要がある」に優位性を与えた(背景に、経済の二極化=経済の好調にも関わらず、一般の民は豊かになったという実感の無いまま、個人でなく大手組織に有利な社会構造が変革されていないことは承知の事として)。
●1B・ここでいう建築家という職能の概念形成に、高度成長期まで続いた独立建築家の強いイメージがあり、それがオールマイティな社会変革の指導者であったり、文化の先導役であったりという高い理想を植え付けた。一方、市場の積み上げ効果やメディアの発展による市民レベルの情報収集力や知識向上が民間の主体的な判断力を増し、そのことがクレイマー化も進めた。加えて法規の規制強化が設計判断力の複雑化や多面化・向上の必要を伴い、個人能力のみでの設計が難しくなり組織力を求められ、結果として個人能力評価を減算し、加えてますます資本主義経済に巻き込まれることになった。この、高い理想と現実のギャップの大きさを乗り越えるルールが出来ておらず(*1)、建築家の「ある種の暴走」を求めることになった。●
2・生活習慣でも、明治からの「洋化」は日本の住宅の「様式」強要を解体させた。
3・経済的利益優先となれば、建築関連メディアも「目新しさ」を追わなければ売れないと考える。
4・ハウスメーカーなどが時間を掛けて積み上げた、一般的に受け入れられる住みやすさや質・美しさの最大公約数的な住宅の典型と販売実績に、逆らうか逃げるしか個人としての建築家の存在価値が無くなってきた。
5・基本設計レベルでのアイデアが面白く、建主への説得、アイデアの実現にその度ごとに掛ける膨大な見えない時間が必要不可欠なら(強化された建築規制への対応。好き、能力が見える、ということもある=「芸というものは・・・」に繋がる)、敢えてそのことは問わない(経済評価出来ない時間は無視してもやる)。●5B・そのことが却って建築家職能の経済価値を下げることに繋がった(*2)●
6・近年になるに従って、新建材の登場やコンピュータ解析の進歩により、思いもよらぬ内外装や構造が自由に扱えるようになった。
7・建物には必需の「建てた後の住み心地(特に断熱、換気、公私、動線)の向上やメンテナンス問題、安全・安心、維持経費問題」まで常識的に考えていたら、面白い設計がつまらなくなる。
8・敷地の狭小や変形が売れ残ったりして、設計者への依頼要素が増す。建築家も一見無理な場所ほど設計意欲を掻き立てられたりする。



以上を「実験住宅」、つまり、いい悪いは別にして、メディアに載る(その流れから歴史に関わり、仕事も増える)ために、今までに無いことをやって見せる住宅が主導化する主な理由と考えているが、これが「日本の家」の現実ではないだろうか(純粋な意味の実験住宅――コスト効果、標準仕様の追及などは意味があるが、その多くはスタンダード・モデルにならず、ハウスメーカー仕様などに取って変わられた)。
こうして考えてくると、この流れは変えようがないほど大きいということが判る。この流れが全体として俯瞰して見えるようになるには、少なくともあと20〜30年、つまり戦後から百年を待つ必要があるのでは?、いや、それよりも、そこまで続くのだろうか(その辺までに「日本の家」は主流・傍流が体系立って来る?――個性の乱立を探る方向でなく、様式化の方向で)、というのが言いたいことである。
これは、見方によっては夢を潰すような言い方かも知れず、特に希望に燃える若い建築家には申し訳ないという気持ちもしている。もし「住宅で社会変革を!」と意気込んでいるならば尚更だ。(*3)



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(*)について:「建築家」の職能確立については、上述の通り社会の多様化からも、いろいろな建築士が登場したこともあり、理念の実現化に向けての努力より資格強化に向っていると言えよう。言葉やデータにしにくく、個人に帰る場面も多い理念を敢えてルール化し、社会力化する努力は当面、放棄したとみてよいだろう。それだけ現在の日本社会がこの方面では硬直し、変革の難しさを示しているとも言える。(公社)日本建築家協会に於いて、何度か文書で発言し、模索してきたが取り上げられてはいない。









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