「ユベール・ロベール―時間の庭―展」

【情報】

ユベール・ロベールを知っていましたか



上野の東京芸大であったデザイン学会評議員会の帰りみち、ふと見かけた国立西洋美術館での「ユベール・ロベール―時間の庭―展」を見たくなり、一緒だった関東学院大の川嶋恒美先生と別れた。
こんな展覧会のことは知らなかった。これが上野(芸大)に行くいいところだ。
ロダンのあの地獄門(!)も雨に濡れて相変わらず在った。夕暮れ時の小雨に煙る東京文化会館もあいかわらずいい。何かのコンサートでもあるのだろう。人の出入り、館内の照明が生き生きとして見えた。


僕らがヨーロッパの源流について感じているある部分は、あの、森の間に廃墟があってそこに牧歌的な風景があり、その向こうに秀麗な山肌がみえ、さらにそれらを見下ろすような美しい雲がたなびいている…という風景だ。
心のどこかで見ているのだが、場所も時代も特定出来ないでいる。
それが実はここに、もっぱらそれらを描いて見せてくれた画家がいたことがわかった。
それが、この「ロベール展」だった。それだけのボリュームのある展覧会だった。


―時間の庭―という言い方も気にいったが、この後、六本木AXISで、静岡文化芸大生らの卒展パーティがあるというのに、展覧会の方を優先したくなったのだ。


ここには僕らがニコラ・プーサンなどで知ったあの類の絵があった。
ロベールは、パリのスタンヴィル侯爵がローマ赴任するについて、侍従だった父についてローマに行き、遺跡と風景に魅せられたようだ。

1733年生まれ、1754(21才)渡伊、1765(32才)までローマに居たようだ。1793フランス革命により投獄される!(10月29日から翌年8月4日まで)、1808死去(75才)。
これによって、この時代の背景が感知される。貴族にべったりだった生涯が見えるようだ。やっぱり、食うに困らない環境でなければ、こんな優雅な風景がなんて描いては居られなかっただろう。しかし、そのおかげで,庭園デザイナーというような視点からも残すものが出来たのだ。

数字の並びがいいから、1777(44才)という18世紀のある年代を覚えておこう。このころが脂が乗って行って自信満々だっただろうし。また僕らにとっても、よくわからない18世紀がどんなヨーロッパだったか、これでも感じられるからだ。


ここには僕らにも心の原流となった記憶の証しがあった。ちなみにユベール・ロベールは英読みにするとハーバート・ロバートと読める。(5月20まで、その後、福岡市美術館静岡県立美術館巡回)



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