簡単に映像操作が可能になって・・・

ショック!
書いている日記の昨日のチェック事項を思いだして、一瞬、〈前の日〉をクリックしたら、今日の日記が消えてしまった。「消去してもよいか」との合図もない。愕然とした。分量が出てきて、内容のある日記の場合、やはりワードで書いて推敲しておいて、日記にに転換しないと駄目のようだ。


まず書いていたのは、最近の一般テレビがつまらないということ。特にどうしてあんなにいけ好かない同じ奴ばかり出てくるんだろう。頭にくるとはこのことだ。映像に取り付かれてしまった人々の知性のレベルも関係するだろうし、コストを掛けないで視聴率稼ぎを焦るテレビ局や関係者の考え方も問題だ。


ここで言いたいことは、映像がもたらす知性の荒廃だ。これはテレビを見ていて思うことだが、もうひとつ、「映像制作関係者の年代、あるいは世代」ということが気になり出した。
イレギュラーな作業時間、過剰労働、映像操作が画像処理技術の習熟によっている事。一方で操作が複雑な事を簡単に出来るようになったこと。これらにより、映像制作現場は若者の独占場になっているのではないだろうか。人生体験にも映像制作にも長けた製作者が育っていないように思えてならない。

こんな感想を抱くのもそうだし、この日記でも、映画・テレビの話が多いこの頃の日常でも、そうなるについては、昨日の日記にも書いた「新日本様式紹介7分映像」制作過程への不満や発見が積み重なっているからだと思う。これについてはもう少し、後で深めたい。それほど映像評論家にもなっているようだ。