今頃発見「ジュリアーノ・ヴァンジ」

*今頃発見「ジュリアーノ・ヴァンジ」


この日曜日にジュリアーノ・ヴァンジの作品展をイタリア文化会館で見て、感銘を受けた。
不勉強で、ヴァンジの名前も仕事も知らなかった。


彼の仕事は明らかにイタリア彫刻界の歴史を未来に繋げて行くものだ。
マリノ・マリーニ、ジャコモ・マンズー、エミリオ・グレコ、ペリクレ・ファッツィーニといった系譜に続くものだと言えよう。日本にも彼らの影響を受けたと思われる作家がたくさんいる。菊地一雄、建畠覚造、山本豊一、船越保武、息子の船越桂らだ。


作品については、言葉で言い表せるなら言うことは無い、という気持ちだが、ここにあるイタリアの空気が素晴らしい。
思い切った造形の省略とデフォルメ、反対に非常に繊細な表情と顔の創り、素材の意図的混用と象嵌技術の活用。
更にいいのは、人物を囲む空間が意識され、造形化されていることだ。それは抽象化された自然の場合もあり、人物の影や幻影と思われるもの、あるいは人物空間の対句的な構成要素として、被り物や動物を感じさせるものが使われている場合もある。


そしてこの大胆な造形は、ある意味で車のイタリアン・ラインにも一脈通ずる感覚も包合している。
ここには、言って見れば、ジュウジアーロ(イタリアのカー・デザイナー。名はジョルジェット)が発見したとする「コーダ・トロンカ」(流れるカー・ラインの最後尾を刃物で切り取るようにカットすること)の造形ドラマ原理を地で行く空間処理もある。


人間の表情はどれも豊かで、宗教的な雰囲気を持つ。
対象は一人の男、それも老人っぽい逆境の男や、中和された女たちという様相。いつも一人で、ある佇まいを感じさせる空間にあり、そこに居る。そこには生の苦悩や孤独の雰囲気を表徴させるポーズがありながら、決して不快ではなく、何とはなしに人間的な微笑みさえ感じさせる。女たちは一般に静かに、あるいは強く主張している。
ローマ法王庁やイタリア国内の教会などが、彼に祭壇周りや入口などの仕事を出している事もうなずける。


なお、ここからの連想だが、ヴァンジを見に行く気になったのも、そもそも人体を造形要素、というより考え方の表現要素の一つとして考慮せざるを得ないとの思いが膨らんできているからである。
これは、この1月3日に書いた、自己表現の方法の模索に絡んでいる。これについては明日以降に検討して見たい。直接、建築やデザインに関係するとは言い難いが。


静岡県三島市の富士山ろくにビュッフェと並んでヴァンジの展示空間が出来ているのも知らなかった。
東洋の果ての国でも、展示公園まで造ってもらえるのは幸せなことだろう。
20年位も前に、ここにビュッフェの美術館が出来たと知って見に行った事があったが、荒涼たる雰囲気で、その後、行く気がしなかったのだが、レストランなども出来てだいぶ改良されたらしい。ここはスルガ銀行の岡野一族の思いが結実した場所と聞いているが、ビュッフェへの評価はともかくも、ヴァンジの作品があるなら、改めて訪ねてみたいと思う。


ついでに我田引水で申し訳ないが、このイタリア文化会館はその外装の赤で環境問題を起こしたが、現在の漆の赤に近い色で問題を感じない(鹿島デザイン)。去年のSD(サインデザイン)賞選考で問題になったが、私の好きなファサードであり、推薦し「大倉冨美雄賞」として結実している。