*@「JIA港地域会」という建築家集団

*「JIA港地域会」という建築家集団


建築家って、一般にはかっこよい職業のように思われているのかも知れない。それでいて、どこにいるのかも分からず、比較的高学歴で何やら小難しい理屈を捏ね回す人という印象もあるだろう。要するに判りにくく取っ付きにくい人種という印象だ。
一方、耐震偽装問題は人々を不安がらせ、そこから発している確認申請手続きの強化は、一段と建築家を締めつけることになった。いいものを創ろうとすればするほど、建築設計は本来原図通りに進むことは難しい。どうしてもいろいろの事情から、ディテールについては変更が生ずる。簡単に言ってしまうと、これを認めず、認めるとしても手続きをやり直す必要があるように基準が変えられたからだ。


こういう苦境にある職能団体の根本問題とは何だろう。
それを特徴付けていることばがある。「建築士」と「建築家」という用語がそれだ。
極端に単純化してしまうと、「士」は国が認めた資格所有者であり、「家」は自分が適していると思っている称号だ。防災、避難、耐震といった視点からの建築を考えると、確かに国が公的基準を設定する必要があり、ここに「士」の存在意味がある。ところが、建築が基本的に人が住み、活動する一戸、一ビル建てであり、固定環境に建てられることによって、今度は「環境作品」になる。これは「士」の問題ではなく、表現される以上、ある意味での「作家能力」の問題となる。
前者は科学、工学の問題で済むが、後者はそうは行かない。後者はデータ化、認知化、評価が難しいために前者はこれを切り捨ててきた。ここに「家」、つまり建築家が、「士」、つまり国の施策の理解を呼び込むために戦わねばならなくなるのだ。
この問題は過去の教育にまで遡る。敢えて言ってしまえば、現在の官僚をはじめ、政治家、識者、経済人の多くには、その形成過程で縁がなかった問題のため、問題にすること自体が理解しにくいのだ。


こういう状況を打破するにはどうしたらいいのだろう。
一つの考え方が、国の方を見るのでなく、依頼人でもあり得て、環境共生同人である民間側、しかも身近な地域に目をやることだ。草の根的に建築家を判ってもらおうという、辛抱強い活動だ。
そこで、より市民レベルの理解と共感が得られるようにしようと、各地域の建築家集団で、その地域密着型の活動が始まっている。
この活動母体は日本建築家協会(JIA)、僕らの活動主体は「JIA港地域会」という。
一昨夜、この設立準備メンバー有志5人が集まり、本部への報告準備や事業について話し合った。
(この団体JIAは現在の仙田満会長の奮戦に至るまで、大変な努力を重ねてきたが、その割にはパッとしなかった。僕自身も新協会設立後、最初の5年ほどは機関誌の編集に関ってきたが、それを降りてからは次第に離れてしまった。去年の春までは勤務地の大学の関係で所属が同協会の東海支部になり、西部地区支部長としてそこでの事業に協力するはずが、儀礼的な参加に留まる事が多かった)


さて、「JIA港地域会」だが、集まった上で考え直してみると、同業が5人集まったにしても、それぞれのキャラクターはだいぶ違う。まずはここで協力し合って、地域の建築や環境への保全、美化、開発に努めてゆくことは、何らかの形成的な意味があるということが確認された。
すでに、港区の高輪支所や明治学院大学のI先生が中心になって行ってきた区民参画組織、高輪タウンミーティングから、「高縄今昔」という小冊子を発行するに至っており、このロードマップに基づいて、歴史建物や道、街道の現況と、江戸、明治、大正との比較などが取り上げられてきた。(「高縄」は間違いではなく、古い呼称で、この表記は江戸時代以前に遡るという)
この冊子の編集はJIA会員のT氏が中心になって、当地域会の方が協力して出来たものだが、これをたたき台にして、企画を動かしていけば、地域の人たちへの呼びかけもしやすいだろうということになった。
これを繋げて行って、港区の住環境改善や空間設計に関与していければと思っている。


このブログを見ている方で、東京都港区内にお住いだったり、勤務していて関心のある方は連絡を取り合い、協力して行きたいと思いますのでよろしくお願い致します。