AR11 建築家の業(ごう)

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建築家の業(ごう)


コルビジェ(以下コル)はやっぱり偉い。最後には、こうなった。


コルは結婚するに当たり妻に、「建築に専心するために、子供はつくれないが覚悟してくれ」と言ったそうな。どこかで読んで、どこかにもう書いたかもしれない。
そこまで言わなくても、という気になる。
子育てもあるのが、人間を大きくし、建築も豊かになるのではないのか。
コルの仕事はいわば殉教である。


時代がたっても、この殉教精神に心酔する建築家は少なくない。
一昨夜のJIA(*)港地域会の出席メンバーがそれだ。
特に、コルを持ち出したのは今井均さん。常々、その純粋な作家精神に敬服しているが、なかなか真似が出来るようなことではない。
その今井さんが僕を買ってくれていて、「資格や分野などに捉われずに熱くモノつくりに関わっている」とお褒めの言葉を頂いてしまった。
いや、いや、お恥ずかしい限り。
特に僕の場合、工業デザイン団体の理事長をやってきた経緯からも、同業者職能の救済という問題意識が常にあり、それを、歴史の経緯の中から、日本の社会構造問題ということに理解してくると、どうも今井さんのように個人的に純粋になれなくなっているらしいことが分かってきた。少なくとも、本音は同感でも建前では。



そういう話になる際の、話題の出発点は常にJIAの現状と今後についてだ。
そこには常に何の為の建築職能かという不明(悩み、判断不能)が付いて廻る回る。
JIAは日本建築士会連合会(以下、士会)と一緒に、統合した上位建築家資格を設定しようとして議論してきたが、ここにきて、JIAの求める認定のありかた(「登録建築家」)に士会が乗らず、頓挫したとのこと。
こうなると、JIAは元の建築家協会(俗に「旧家協会」と言われている)にもどるしかその大義は無くなると今井さんは言い、皆もうなずく。
「JIAはステイタスとして残ればいい」
さらに僕の話から報酬問題になり、「僕らは作家(あるいは芸術家)ですと言いながら、料金は団体で決めている、というのはおかしい」という意見も出た。
アメリカの設計事務所で体験したことだが、技術料は工事費の7%。意匠料が同じく5%。構造、設備は別の請求として、併せて12%でお願いします、と自分の考え方として主張するのが望ましい」
「施主から、テクニックで金を取る仕組みや方法を考えたり、それを若い建築家に教えたりなどという姑息なことはすべきではない」
「それぞれの個性にそれぞれの施主がつくのであり、施主のために一生懸命にやっていればうまくいくはずだ」


なんという美しい結論だろう。これには反論できない。
このところ、あまりにもトラブルに見舞われたために、僕自身が身構えてしまい、こういう結論に至れなくなっていた不明を恥じた。
ここで出てきたのが、コルビジェだった。
「フランス人でもなかった(?)独学のコルは、よく頑張った。建築の自立のために国の認定する機関(ボザール)を相手に戦い、最後は国から名誉を与えられた。今の日本にこのような建築家がいるのか」

(* 日本建築家協会)