*伊勢神宮を歩いて

伊勢神宮を歩いて 
―われも多神教徒の群れ―

(walking along the Grand shrine of Ise―me too as a mob of polytheists)
                      
           

内宮の砂利道はとても歩きづらい。
あたりの自然に見惚れてそぞろ歩くうちに御正宮(一番奥の社殿)にたどりつく、というようなものではない。
おまけに緑陰かと思いきや、参道が広いために残暑の照りつけが砂利道を焦がし、汗ぐっちゃりとなる。9月1日。この日、そよ風も無かった。


聞くところによると、御正宮の中に入れて貰うには、盛装、つまり背広、ネクタイ、革靴でなければならない。紹介者の勧めでこうなったのだが、この暑さの中で尋常の姿ではない。
行きたいと言い出したのは家内だ。このところ多事難問続きで占ってもらったところ、伊勢神宮参拝を勧められたという。すでに行った場所だけれど、また行くことになった。新しい発見もあるかも知れないし。


御正宮は二重の門構えになっていて、ゆるい見上げの空間ということもあり、社殿は屋根の前方が見える程度だ。このこともあって、荘厳巨大な歴史的構築物から見れば、仮設倉庫のようなものだろう。こんなものを日本人はこころのふるさとと称して崇めたてまつってきた。
しかも式年遷宮ということで,来る平成25年は隣の敷地に建て替えとなる。このための準備は始まっていて、わざわざ隣の何も無い敷地の説明案内板まで出来ている。



しかし、この砂利道は何かを言っていようでもある。

養老孟司玄侑宗久との対談(文芸春秋2007季刊夏号)で、こんなことを言っている。

「養老:今の日本の社会は一神教化していますね。東京に住んでいる人は気がつかないかもしれないけど、都会は踏んでいる地面が同じ固さで平らなんですよ。階段は歩幅や高さが同じ。こういう生活が当たり前だと思っている。でもこれが田舎だと、田んぼの中はずぶずぶ沈むし、あぜ道は土、砂利もあれば草も生えている・・・。だから一歩一歩違う地面を踏むことになる。
玄侑:想定外のことがあってもいいわけですね。
養老:今の人は頭を本当に使っていないんじゃないかな。普段の仕事で頭を使った気になっているけど、ただ概念化しているだけなんですよ。」


「養老:宗教に序列はありませんが、私は頭の中の概念を詰めていくと一神教になり、感覚に依存すると多神教になると考えています。人がたくさんいるんだから、見ている風景は全員違って居るはずです。そこを誤解して、同じ場に居合わせていれば同じ雰囲気に浸っていると想定する。若い二人がすぐ別れるのもそこ。二人でお互いの顔を見ているんだから、同じものを見ているわけがない。それが分っていないから性格の不一致とか価値観が違うとか言い出すんです(笑)。人の感覚は同一にしようがない。多神教はきわめて自然な形です。」


「養老:人は感覚から入って脳の中で概念化する。…どんどん階層的に概念化していく。そうすると最後は一つにならざるを得ない。宇宙全体を一個の概念で構成することが可能です。それが唯一絶対神の起源です。都市化すると一神教化するんです。モーゼがエジプトを脱出してイスラエルで興したユダヤ教も、派生したキリスト教も、イスラム教も都市の宗教ですから。」


ヨーロッパの宗教は都市化による一神教化であるという。

考えるまでもなく、我々が受け継いできた「宗教らしきもの」は、相当の寛容さを持っていて、それを肌で感じながら生きてきた。そこで、この多神教である。それだけに意識しないで生きてきたとは言える。意識しなかった理由を次のように言っている。


「養老:日本文化の歴史を語ろうとする時、やはり宗教は外せません。歴史を見ると、仏教は文化を支えてきたと言える。でも仏教のことは歴史書に書かれていないことも多く、なかなか意識しにくい。
玄侑:歴史抜きで書いてしまいたいという欲求がどこかにあったのでしょう。また、お坊さんが語らずに来たということもありますね。
養老:宗教を入れると客観的でなくなるということでしょうけど、客観的な歴史なんてありませんからね。・・・」



日本人が既に、ヨーロッパ型の都市化と思考の概念化傾向に毒されているということだろう。

「養老:日本文化は仏教に支えられてきたから、江戸時代の殿様はバカでよかった(笑)。最近問題になっているのは、世間をつくっている要素が崩壊していること。つまり暗黙の常識がなくなっていますね。だからそれを意識化して言い直さなければいけない時代です。意識化して言い直してみたりすると本が売れたりする(笑)・・・」(特別対談「日本人はなぜ『般若心経』が好きか?」)



伊勢神宮を歩いていて、ここまで考えていた訳ではない。まして炎天下で砂利道に足をすくわれて、それどころではなかった。
しかし、そうなのだ。出自もよく分っている訳でもない伊勢神宮に行って、参詣し祈祷することに違和感を感じるわけではないのを知る時、内宮を歩いている自分は日本的な多神教徒を地で行っていたのだ。