息抜きが必要 

言葉で書いた文書(当たり前だが)でも、何か面白いことにならないと


●(6日追記)川上未映子(みえこ)の文章をちょっと読んだ。「乳と卵」。
へえ、こういうのが芥川賞(今年度)になるんですね、という感じ。まったく主観の動くままに綴っているという感じ。ちょっと、転記させてもらおう。
「・・・あたしは勝手にお腹がへったり、勝手に生理になったりするようなこんな体があって、その中に閉じ込められてるって感じる。んで生まれてきたら最後、生きてご飯を食べ続けて、お金をかせいで生きていかなあかんことだけでもしんどいことです。・・・」う〜ん。


●女性の生理や出産を持ち上げる女たちへの抵抗を綴ったものだが、この引用は、次の二つの感想をもたらす。
一つに、この実感(的叙述)は本当に、人類共通の根底問題意識でなければならないのに、そうでないことを称揚する人たちが妙な社会を作り上げてしまった、といことを代弁しているということ。
二つに、こういう肉感的なことばの世界があるんだ〜、という例証として。


言葉を信用していないというのは嘘になるが、言葉でなくても言葉が伝える意味程度の深みのある感情や思考が伝達されたらどんなに楽だろう、といつも思っている。
●どうしても言葉で言うしかない時、川上未映子のこの書きっぷりは、一つの脱出方向を示すのかも知れない。もっとも、この自己評は芥川賞審査委員の大方の合意評などは知らずに言っているのだけれど。


憲法でも何でも言葉で書いてあるから、言葉でない図面や、形態、色、質感、音色、仕草、明暗、軽重、寒暖などで表現することを専門職業としてしまった人たちは、言葉を中心に仕事をしている職業人に比べて大きなハンデがあるのではないか、ともいつも思っている。
つまり、言葉から離れる職業ほど、すでに使っている言葉で言えば、セーフティネット(経済的、社会的救済策)が必要なのではないか。多くの場合、技術者、芸術家といった人種だろうけれど。
なんと、「ミスター円」こと榊原英資氏が、技術者がハンデを負っている、と見抜いている(文芸春秋3月号)。このことはまた後で持ち出そう。
勿論、これだけでなく、経済的利益の出易い職業や、利権になる職業、利権に近い職業などから離れるほど、セーフティネットが必要という大眼目はあるのだけれど。


昨夜、夜中にふっと目覚めた時に気が付いた言葉に、「頼まれもしないのにやっている職業」というのがあった。頼まれもしないのにやっているのは、本当は、その仕事が要らないのではなく、人間生活のある、ギリギリの生存レベルから相当文化的に上がったところで初めて必要になるからだ、と思いたい。こういうものにもセーフティネットが必要なのではないか。


「息抜きが必要」とつけたタイトルとは裏腹に、息抜けない話になってきたが、こういうセーフティネットの設計は進めなければならない。やはり、こういうことを言うのに、図面や色では無理なんだろうな。


続けられればこの後、又は明日以降に、息抜きの「話」を、仕方なくではなく、それを乗り越えて「言葉」で表現したい。