利益の出ないボランティアはやるべきでない? What is the economy i

地域活動についての理解の仕方


What is the economy in voluntary activities ?



―利益の出ないボランティアはやるべきでない?―



こんな話題で僕らの身近な組織が紛糾しそうな気配があった。

「あった」としたのは、それぞれ大人の事だから、問題を整理、調整してある合意点に収まるだろう事はほぼ読めているからだ。


事の発端は、僕の発言にある、「経済重視」と取れる価値観にある。(まったく誤解なのだが)


以前にも、経産省の役人も加わるある団体の集りで、僕のこの「傾向」(取り合えず、こう言っておこう)からの発言に他団体の理事長が、「大倉さん、デザインは文化だ」と吐き捨てるように食ってかかってきた事があった。

僕は内心「おっさん、何を勘違いしているんだ。デザインが文化であることなど百も承知だよ。でも、それでは(特にこの国では――更に注。この国の中心にいる人たちには)理解されないし、相手にされない。改革のためには政治も経済も視野に入れて発言して行かなければならないからこそ言っているんじゃないか。この観念男め!」と、思ったが黙っていた。このために生じた後からのストレスは大きい。
彼のためと、公の場でのいわば同業者の言い争いは見方によれば大人げないと思われ、避けたかったからだが、本当ならこういう場でこそデザインの本領を説明出来ただろうに、それをせずあいまいにし、居合わせた人たちへの教化も出来ずに流されたからだ。

言い過ぎたと思ったのか、次に会った何かの懇親会時には、わざわざワインを注ぎに来たが、いい気持ちではなかった。



今回のケースは、委員会での僕の発言がまた曲解されたことにある。その時は面白くないと思っていたが黙っていたのだろう。
それが議事録になった時、そこに油を注ぐような、まとめ担当の若い建築家の「極め付き要約」が出て、曲解が本物にまで昇華してもおかしくない状態にまでなっていたのだ。

抽象的な話はやめて、具体的に行こう。


議事録草案には、

「地域活動は職能の確立と仕事が取れるメリットとのバランスが大切だ」(M)
「その両方の価値のバランス評価がまったく出来ないままの行動はなるべく避けたい。そのバランスの軽重と意味を見極め、評価しつつ進める事が大切だ」(大倉)

とした後、

「ボランティアで仕事をすると、ただでやってもらえると言う印象を与えることになってしまうのではないか」(大倉)

と、出た。

僕に取っては、おかしくない発言なのだが、これを読んで、

「利益の出ないボランティアはやるべきでないというなら、僕は自分の活動に戻ります」

という人が出てきたのだ。



この下りで、これを読まれた方のうちには、大倉さんの言う事より、この人の言う事の方が正しい、あるいは共感を持つ、という方もいられると思う。

僕はさんざ考えた挙句、かなりの時間を使って「事情説明」文を作り、議事録を修正してくれるよう担当者に依頼し、その文面をそのままCCでグループに流した。それが以下のメールの転載だ。



「ボランティアで仕事をすると、ただでやってもらえるという印象を与えることになってしまうのではないか」

―>(以下のように修正して下さい)



「われわれにとって、地域活動についてはボランティアとして活動する意識が基本はもちろんだが、(このまちづくりや生活環境の改善についても、それらを市民の一人、あるいはグループとして協力、推進していることでも)、それを経済(政治も含む)活動の観点から見ている人たちがいること知っておく必要がある。

そのような評価尺を組み込んで見ると、(哲学としての奉仕を人生観に掲げている人や、また有償行為となる成果を金銭の授受に限らず、生活の充足や宗教的な至福などに認める人たちがいるとしても)、経済的無償の行為はしないと承知している側は、これらの好意を、無償をいいことに「押し付け利用」することが考えられ、その存在意味を承知しつつ進めることが大切だろう。

特に、上述の理念と経済のバランスを取りつつ進むというコンセプト認識がある以上、建築家にとっても経済活動を無視しきれず、参加すればよいだけでは済まない負担が掛かって来る時、(この他軸の評価尺を無視出来ない場合が考えられ、その時)、この交錯に振り回されることは明かと思われるからだ。


このことを考えると、理念と経済のバランス問題を突然持ち出すのではなく、普段からこの判断と評価を討議し、専門職の有償性への認識普及の努力は怠るべきではないと思う。


(もっと源流を辿ると、日本では広く「ソフトは唯」という国民認識があり、この認識構造を改めて行かないと、建築家やデザイナーはいつまでたっても実質下請業に留まるという危惧からの発言です)

(皆さん、承知のことでしょうから、括弧内は省いても構いません。また私の真意が判っていただけるのでしたら、元のままでも意は通じるかと思いますが)」


これで本当に理解されたのだろか。あ〜あ。