マルチ・デザインの得失

マルチ・デザインの得失



マルチ・デザインとは自分でつけた名前だが、グラフィックから都市デザインまで、個人の才能の内にあれば職業になる、という考えから起こった自製の職業分野である。


これがまともに意識されたのはもちろんイタリア時代だが、帰国後、経済成長の波の上にあったことや、まだ珍しかったイタリア帰りが売りになったことや、親戚縁者からの住宅設計依頼などである時点までこの路線でやれそうに見えたのも事実だ。
その後、コンサルタント収入、年に一回でも大きな建築設計依頼などが続き、行き詰まり掛けたころ大学教授の場が得られたりして、拡散した事業が一見もっともらしく続くことになった。


一見と書いたのは、以前から日本の職業認識が、地を這って固めるやりかたでしかモノにならないという実感を持ってはいたが、それ無くしてもやれるじゃないか、という理念路線での追求で来たからだ。


今回の構造的な大不況に接して、この路線の難しさを実感した。
企業が拡大した商品分野を整理して売れ筋だけに絞っているように、僕の仕事も「商売としては」、マルチ・デザインでは安定した顧客がつかないことを実感している。
理念はよしとしても、単なるデザイン・コンサルタントではない、職業分類にないような職業はビジネスとしては成り立たないということかも知れない。


昨深夜、風呂に入っていて、まったく偶然に安藤忠雄氏のFMラジオ・インタビューというのを音楽の合間に聞いた。
面白かったのは彼は建物の設計でも、小さいものから序々に大ききものへ挑戦していったということで、突然、大きくなったり、突然小さくなったりする僕のやりかたとはずいぶん違うことがわかった。つまり、彼は職業を「職人業」として理解してきたことが感じられたのだ。それに対して、と同列に比較する気はないが、僕のやりかたは理念からであるから、スケールや難易度を問わない。つまり職人的な所が無い。


そのことはいろいろのことを意味するように思う。
たとえば事務所スタッフは、個人的な理念で進める所長では、心底その理念、あるいは一般化された概念でもいいが、それに心酔しているのでもなければ、何を基準に仕事をしていいのかわからなくなるだろうとも思う。顧客にしたって、普通にはどこに軸があるのか見えないだろうから不安になると思われる。
単純に考えても事業の積み上げが難しい。
そこへ持ってきて、メディア情報が大きく拡散され、知らなければならない情報が大きくなりすぎて来た。顧客としてや一般人としては関心ある分野だけでいいのだが、それが情報過剰になっているのだ。
専門情報を流すトレンドの拡大・深化につれ、市民の情報も拡大・深化してくることは、一介の建築家・デザイナーの方も、一分野に抑えておかないとついていけないことになる。


こういう事情から、僕のマルチ・デザイン職は危機に立たされている。
理論書を書く、大学で講義するだけならまだいい。実務職としては実に成り立たちにくいことが判ってきた。少なくとも、日本で理念からの職業展開が理解されないうちは。