K@再度問う日本の融合文化発信力(その2)

【大きな構想】  (●印 2010/10/05 各行についてのみ追記、又は補記)


再度問う日本の融合文化発信力(その2)


(主にプロダクト・デザイン系編)



デザイナーは文化発信力を持つのだろうか。


唐突な言い出しで、何のこと?と思う人もいそうだ。
当然、デザイナーって、文化的な発信力がある仕事でしょう?と。
ここでは、その結果を言うのではなく、デザイナー側から見て発信しやすい社会構造になっているかどうか、を問うている。
とすると、言い方が違うと言われそう。
もっともなことだ。言い換えそう。


デザイナーの文化発信力が、国家的にスムーズに現れる社会になっているか



デザインと言っても大きな分野だけでも、ファッション系、ビジュアル系、プロダクト系と別れ、またそこでも私流に分断すると、それらを縦断するかたちで、クラフト・個人作家系と産業デザイン系とに分かれるから、どこを相手に言っているかで少なからず論点が変わってくる。
建築・都市デザインは前項(「再度問う日本の融合文化発信力(その1)」6月27日)で述べたので除いておく。


ここでは一番分かりにくく、一番国のイメージに影響を与え、事実、これまでは与えてきた「工業デザイン」(最近は「工業」という言葉に問題を感じ、「プロダクトデザイン」と言おうとする動きが強い。以下、これに従いPD、そのデザイナーをPDデザイナーと略す)を中心に見てみよう。


高度成長期という、日本の国力に世界が驚嘆しまた嫉妬した時代までは、PDはある意味で大成功したと言えよう。誰でも知っている「ジャパン・アズ・ナンバーワン」「メイド・イン・ジャパン」の時代だった。
これは製造業でしか立国出来ないと腹をくくった国(当時の通産省)が、中小企業を下請けとし製造系大手企業を中心に「護送船団方式」を組ませ、そこにデザインの重要性も組み込んだのだった。
大手企業にとっては、性能と共に使い勝手や見てくれの良さも大切と、デザイン部を設け、輸出振興の一助として国も奨励した。
ここでの要注意は、デザイナーはサラリーマン(特に大手企業の)にならなければ勉強出来ず、サラリーマン以外の、つまり独立職業としてのPDデザイナーの意味付けや存在の必要性はどこも、ほとんど誰も考慮しなかったということだ。これが今となっては問題となっているわけだ。


これが大成功してしまうと、国も個々の企業努力で賄えるものとの認識から、徐々にデザイン振興から手を引いた。民間事業になった「グッド・デザイン賞」などはその名残である。
そこには国家的見地でのデザインの本質を理解し、本質的な観点から国としての支援、運動の展開を行うという視座が無かったのだ。


正確に言うと、国家的視座がなかった、というのは正しいとは言えない。経産省の担当部署は、「感性価値」という言葉を使って運動の展開を図っているし、一時は「新日本様式」という名称で、日本ブランドのイメージ展開を図ることにも手を貸した。●違うところは、「個人としてのプロフェッションがベース」という概念がなく、そこから「感性価値」や日本の想像力を対外的に発揮させる発想が出てこなかったことだ。

いずれにしても建築と違うところは、同じ輸入職能でありながら、PDは最初から製造系企業に取り込まれ、その外部での独立職業としての明確な理念が無かったのだ。
確かに工業製品は、技術的成果と製造条件(素材、工場設備、コストなど)を見極めたうえで先行投資をしなければならず、それは企業のトップ判断要項であり、一般的には外注出来る性質のものではないのだ。


●ここで判ることは、PDデザイナーについては、国も、教育機関も、もちろん企業も、どこもかしこも、「個人的独立職業が基本に在るプロフェッションである」という認識に至ったことが無いということだ。
ここが、「建築家」という個人的理念職を持ち込み、それを認知したかに見えた国情との大きな違いである。
もっともそこには、半世紀近い出発点の時代的ズレがあることはあった。昔ほど、能力あり海外経験を持った個人に依存する割合が高く、PDの輸入された戦後は「みんな一緒に頑張ろう」だったからである。


個人格としてのデザイン評価軸が決まっていないとすると、PDデザイナーの存在とは、最近の「非正規就業者」問題の顛末とよく似てくるような気もする。


商品が売れなくなり品種も限定されてくると、企業から見ると、意匠担当として集められた従業員の多くは不要になるか、それこそ外注で賄いたいということになる。しかし外注となると、秘密漏えいの問題も生じ、自社内でつちかったノウハウに附いてこれるデザイナーも未知数となる。一番いいのは非正規で雇っておいて、不要になたらカットするという道だろう。ところが、独立職業としての国家的認知も保護も資格もないわけだから、以上の理由から捨てられたら生きるのは大変だ。
(最近、担当デザイン団体*は資格認証に手を染めてはいるが)


加えて知的財産についても、製造者保護には目配りが利いたが、発案者個人の保護については抜けている。
この問題を深く論ずるのはここでの仕事ではない。ただ言っておきたいことは、個人を保護しないというのではなく、社会的に日本は個人能力認知が低いという方が正しいだろう。
製造しなければ財産価値が生じにくく、製造しないものに正当な経済評価をする仕組みがないということだろうし、また外部からアイデアを見せても、同じようなことは考えていたとし、結果的に盗まれるのと同じ行為になるような事態も含まれる。
以上から、非正規社員的問題的という意味はわかって頂けるだろうか。


ではPDデザイナーの個人資質の発露はどうすればいいのだろうか。

(続く)


* (社)日本インダストリアルデザイナー協会(JIDA)の「資格・認証」を参照されたし。