「コラボの真髄から云々」デザイン部会討論会略報
【情報・論】
デザイン部会(建築家協会)の討議から
テーマは確かに難しいです。そのせいか、思ったより集まりは伸びませんでした。
一昨日のJIAデザイン部会のことです。
内容は、手前味噌ですが、高度な問題を大変面白く議論できたと思っています。
堀内智樹(JIDA)、南條洋雄(JIA)、芦原太郎(JIA)の各氏の順に、自分の仕事の簡単な紹介とコラボレーションについての考え方を述べてもらいました。
それでわかってきたことは、仕事がまったく取れないというような窮状レベルで業務(コラボレーション)のルールも出来ていないような立場と、下地のある立場とはまったく位相の違った議論になるということでした。
下地のある立場とは、人脈を軸にともかくも仕事は来ており、ある自分なりのルールに従って仕事は進められるが、そこでさえも業務としてのデザインが発注側に理解されていず、元払いが抑えられているために、協力デザイナーにも十分支払えない(南條)とか、システム化出来たゼネコンや大手設計事務所に手数の不足で対抗できない(芦原)などの問題のある立場のことをいい、根本的に位相が違います。こういう立場であえばこそ、コラボレーションはコンダクターの能力の問題(南條)という提言もしっかり生きてくるわけです。
近年インダストリアルデザイナーは、製品デザインというレベルでは、技術の高度化につれてその職域を内製化(企業内で処理)する以外やりようがなく、その他は安い外注の出現(アジア各国)によって業界業務全体が奪われてきたのであり、そこに独立職能としての位置の喪失が起っています。
仕事があるように見えるのは、グラフィックデザイナーでも出来るイメージ・サイン
やパッケージ・デザイン、表面処理的な業務(携帯電話など)などがあるためと、新しいことは常に求められていますから、タレントとしてアーティスト的な表現活動での受け入れ、などが目立つためです。
しかし、本質的には、それこそ東京でいえば大田区の町工場の救済問題と同じような問題があります。ここには職能の将来担保のためには、保全について国の保護が必要という状況にまで陥っているのは明らかです。
そこで南條、芦原の両氏には、これらから見れば「エスターブリッシュ」層にいるという言い方で問いかけたのです。
このことは、建築家の方でも、業務のより専門技術化、確認申請等の記述書類化肥大、マーケット戦略の浸透などによって、大多数の小設計事務所では立ちいかなくなっており、そこから見れば、インダストリアルデザイナーの職能喪失と同じような立場にあるからです。
討論の中では、それでも、そうであっても「いい仕事をしなければ後はないよ」ということで、最終的な抑えは必要、ということでは合意は出来ていました。が、それでも、「それは仕事があっての話だろ?」から始まって、「いい仕事とは何だ」「ワーク・シェアの過程で、いい仕事になる可能性は」という疑問がついて回ります。
またここでは、前回の古市徹雄氏、浅井治彦氏で語られた、省エネ、エコ環境への参画について、さらにはIT化でどう関わるのかについてまで、話す余裕も時間もありませんでした。
ともかくも、そういう議論の中から、堀内氏にはデザインへの無理解打破のために、地域の人脈ネットを活かしつつある努力や、デザイナー・建築家が結集して「日本デザイン党」を創ろうという政治行動的な方向への足踏みを語ってもらいました。
こうなると、「デザインを無視している」、「下請化している」、「プランナーであってエンジニアじゃないよ」(南條)と、共通のうっぷんがあるため、そこからは民主党にどう期待出来るかという議論も含めて、極めて広大かつ政治的な議論になって終わったのです。
偶然、芦原さんが次期JIA会長に立候補することとなったので、話がそちらに行っても全然おかしくな状態でした。
ところで、9月9日の本ブログの「JIAマニフェスト試案」については、そこまで深入りできませんでした。この問題は、いよいよ12月に予定しているシリーズ第3回で取り上げます。