CH@庭を見れば、その家がわかる

【住まいの話】


庭とは男だ?


「自宅の庭」について、たいていの人は普段、あまり考えていないと思います。
新築の家を建てるなどの時に、庭はどうする?、という話題が出てくる程度ではないでしょうか。
もちろん、庭に異常な関心を持っている例外的な人はいつでもいますが。

一般に、新築の家が立つ時を見ていると、庭はほとんど後まわしになっている場合が多いようです。予算問題もあるし、車庫に使う、入りきらない家財を入れる倉庫を作る予定、あるいは、ちょっとした菜園にしてしまう、といった必要や思いからも、「あとでいいじゃないか」となりやすいようです。


ところが、この庭の見方について、面白い解釈をする人がいます。
「庭を見れば、その家がわかる」というのです。実は私も、ある程度、そういう気持ちで人の庭を見ています。

庭とは案外厄介なもので、庭木の多い家では手入れをしてゆくと、小さい庭でも毎年10万とか20万は優に掛ってしまうのです。雑草は毎年生えるし、どのくらい手入れをしているかは、庭木や雑草を見ればわかってしまうのです。ということはどれだけおカネを掛けられるかということであり、その家の経済状態がわかってしまうのです。


この庭の解釈にについて、更に「進んだ」判断をする人がいます。こうなると、私もそうだとは断言出来ませんが、「まあ、そうかも」くらいには言えそうです。
それは「庭をみれば、その家の男がわかる」というのです。
「あるいは夫婦の力関係が透けて見えるというべきかも知れないが…すなわち、庭とは男だ」と。


それは実際に家を建てた方の実感で、その方の奥様が、「家事動線がこうだから台所がどう、壁紙の色がこうだからカーテンはどうと、ほんの細かなところまで譲らなかったものが、話が建物の外側になると、これが、もう一変して、ほとんど無関心になった」と言うのです。専ら建物の内側についての関心しかないというわけです。
そのあとの話が面白く、「つまるところ、女にとって家の大事は、実用性と快適性であり、それと関係ない部分には、さほどの意味もないらしい。反対に男にとって、家の多くは見栄だ。…(建物外観へのこだわりと)同じ理屈の延長線上にあるのが庭だ」と言うのです。(作家の佐藤賢一さん。日経新聞本日の文化欄)
ここで、夫婦の力関係によって「庭のプレゼンテーション」が変わってくる、という佐藤さんの論理が導かれてくるのです。


そこからの分析を、横綱級、十両、幕下と7等級という分け方で分類し、男と女の心理からどういう庭になるかを具体的に説明しているのがとても愉快です。
最後に、「恐妻家という男の庭ほど荒れていると、導き出される法則は、これである。荒れていない場合もあるが、そのときは芝生でも花壇でもなく、家庭菜園になっている」(笑)