内井昭蔵さんのこと

【情報・論】



クリスチャンだった内井昭蔵さんのこと



いつだったか、JIAの集まりで内井さんに会った。僕が司会か何かしていて、内井さんに壇上に来てもらった。
その時の、はにかんだようなやさしい表情が忘れられない。


2月28日で終わった内井昭蔵展は立派だった。おじいさんから父親まで続く建築家家族で、展示の一部屋は親たちのためにあてられていた。
くしくも会場の世田谷美術館は彼の設計であり、ホーム・グラウンドでの追悼展となった。


内井さんは打ち合わせに出かけるために羽田空港に行っていて、そこで倒れたまま息を引き取ったと聞いている。
ここでは彼の作品評をするよりも、ほんの僅かの接触から、そこにかもし出された異常なほどの誠実さ、人生への、仕事へのまじめな取り組みを通して彼が死に招かれたという印象を語っておきたい。


そうだ、といつも僕は思ってきた。内井さんのように仕事していたら、あっという間に死んじゃうよ、と。
建築設計なんて、のめり込めばいくらやっても尽きない。どこに妥協線を引くかの戦いのようなものだ。
そこを、多分、内井さんは軽重を付けずに歩んできたのだろう。柱型の文様や階段手摺のデザインまで気を許さなかった。


作風については、そういう思いが先行して判断をぐらつかせる。
必ずしも、というよりはっきり言って自分が追っている世界ではない。器用とか達者とかいうタイプでもない。
しかし、それでもにじみ出る真摯な取り組みからは学ぶことが多い。
内井さんのご冥福を改めて祈りたい。