H@面白くない日本の街並み

「【論・情報】



ヨーロッパに比べるとどこに行っても面白くない日本




よく語られそうなテーマだが、少なからぬひとたちにとって実感ではないだろうか。もちろんここで言うヨーロッパのまちとは、それなりに特定されてくるのではあろうが。
日本は美しいとも言う。
確かに美しいところもあるが、その多くは自然だ。街はどうも頂けない、というのが本音ではないか。


本日家内が友達数人と、こともあろうに真鶴(まなずる)に泊まりに行き帰ってきた。
岩場も歩き、漁師町にも行ったらしいが、それほどのことはなかったとのことだった。


ここは僕にとって心の奥座敷の一つだ。小田原が実家だから、小学時代はともかく中・高時代にはよく行ったものだ。
その当時ガキながら、将来カネがあったらこの小半島を買い占めて、自分の思うように開発なり保存なりしたいと思っていた。
南仏のリヴィエラ海岸にも匹敵しそうなその景観は、絶対維持していかなければならないと思っていた。
もちろん、南仏現地を知っていたわけではない。わずかな情報から、いろいろの思いがつのり勝手に想像したことだったが。


それがあまり面白くないことになっている、とは自分でも判っていた。当然ながらここ30年あまりに何度かは行っているからだ。
それでも有志の運動もあって何とかなっているのは知っているが、それにしても夢が生れない。


どうして今の日本人はこうも空間づくりが下手なのだろう。
中学生時代の夢を受けて生意気なことを言わせてもらうなら「俺にやらせないからだ」と言いたくなる。
とはいえ、純粋な日本様式が途絶えて、疑似洋風の建物に転化してきた過程で、あらゆるものがいい加減になった我が国の20世紀は、だれがまちづくりをしても混乱でしかなかったのかも知れない。小学唱歌に出てきた海辺の家を今並べてもしょうがないだろう。


ここではっきり自覚しておかなければならないのは、この百年、日本人は文明開化に追い付くのに夢中で、自前の文化の維持や更なる開化を実質無視してきた、ということだ。今、そのつけが廻されてきていて、何の面白味も、夢も、ドラマも、文化の深みも感じさせないまちなみになったということだ。


ここでこれ以上詮索する必要はない。
「ヨーロッパに比べるとどこに行っても面白くない日本」という、すんなり出てくる感情を確認することが非常に大切なのだ。