佐野洋子のこと

【情報】  ●出典追記あり

最近、売れている女流エッセイストは僕の親友の親友だった。



佐野洋子と聞いても誰のことかと、ここ数年聞き流してきたが、昨日、大変な事が判った。
追悼特集が出て名前が出ているので、秘密ではないと思い、まずは断りもしないで書いてしまうが、僕の大学クラスメイトのイラストレイター川村康一さんとすごく仲が良かったのだ。

僕らは「康(こう)ちゃん」と呼んでいたが、彼から佐野洋子の話を聞いた記憶はない。


なぜ佐野洋子か。実は家内がここしばらく熱烈なファンになっていて、時々、そのエッセイ集の断章を聞かせてくれたからだ。
その内容が、すごく僕らに近い。だんだんわかって来たのだが、彼女がムサビ(武蔵野美術大学)のデザイン科の出で、世代的にもちょっと上位ということで、昔話や、体験談を聞いていると、何か僕らと凄く近いのはもっともだったということだ。
家内に言わせると、ものすごくセンス(この場合、人間的、精神的な意味で)がよく、文章も上手い。もちろん児童作家として猫の絵物語(「100万回生きたねこ」など)を描いてブレークしたことは聞いていた。


最近、どれどれと読んでみて感心したのは、そんな中の「神の手」という一節。
何かやらせてもすべて駄目だが、何か(生け花の話だったと思う)だけは本当にうまい、つまらない素材でもあっという間に、見せられるものにしてしまう、というような人がいるという話だった。
これは僕自身の主題でもあるので、フムフムという感じだったけれど、その時も、誰だろうこの女は、という気持ちが湧いてきていた。


そういう中で、死んでいった佐野洋子(昨年11月5日)の追悼記事で初めて、旧友の康ちゃんがそんな仲だったということを知ったのだ。
彼女と彼は受験浪人時代に、お茶の水美術学院で知り合ったと彼の追悼文にある。まさしくそこの夜間に高校生だった僕もしばらく通っていたのだ。どこかで、すれ違っていたかも知れない。何と言おうか、デザイン興隆期の懐かしくも甘酸っぱい青春群像がそこにあるように感じた。


何せ、康ちゃんも最近、がんの手術をしたようで、入退院の身のようだが、去年の春だったか、時間があって彼の個展を見にゆく機会があった時にはそんな気配はなかった。
奥さんの真知子さんとの縁も深い。僕らの青春、荘年時代、老年時代をつれづれに歩いてきた仲間だ。
そんな康ちゃんの親友が佐野洋子だった、なんて。


●参考までに、出典を記録します。
 「神の手」: 「あれも嫌い これも好き」朝日文庫朝日新聞出版)90頁
 追悼特集: 「佐野洋子 100万回だってよみがえる」KAWADE夢ムック(河出書房新社) 追悼文・川村康一



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