JIDAデザイン・フェスティバル

JIDAデザイン・フェスティバル

Design musiam festival in Shinsyu-shinmachi, Nagano prefecture―Looking for a chance of performance by my concept



10、11と土曜日、日曜日にかけて、長野県信州新町で、上記の催し物があった。JIDAとは、日本インダストリアル・デザイナー協会の略称である。
間際になって、行ってくれないかとの打診があり、前々理事長であった立場からも行くこととした。


信州新町は、長野市から40分くらい西の山間に入ったところにあり、川をせき止めて造ったダムで出来た長い池状の小湖に沿ってある街道町である。

雨上がりの湖の青緑が何とも美しく、そこに映える対岸の山肌を蔽う紅葉が一段と美の深みを増す。両側の山々は高くはないが、奥へ奥へと延々と連なる様は、さすがに山奥に来たという感じになる。



町の美術館の上階を借り切って、1950年代あたりからの外国商品を主に、何百点かのエポック・デザイン商品を展示。他方で、10年前にオープンしたJIDAデザイン・ミュージアムも1キロほど離れたところで関連商品を展示した。こちらは古い酒蔵を借り受けての運営で、僕が理事長時代に朝日新聞で紹介してもらった事がある。


初日は、会場めぐりと「作品鑑賞」、夕方から中村町長以下のご出席を頂いて地元の方が造って下さった野趣あふれる料理でパーティ。翌日は会場を廻って「作品」解説と、講義(ワークショップと呼んでいる)を一つ、午後は僕の講義、そして帰京という日程だった。

午前の講義はJIDA理事の高尾さんが担当し、ブランド・イメージとコミュニケーションの大切さを語った。彼はイタリアのロドルフォ・ボネットの事務所にいたので、どこか話がバッティングするのではと気になったが、プロダクト・デザインに特化していった。そこで、「それ以外」を言うこととし、今が社会の転換期だということ、お金について考えないといけないことを述べたが、大学1年生には難しかったようだ。



このような展覧会を、出生の地であるこの町での展示は当然としても、できるだけ、東京、大阪、名古屋、仙台、熊本、札幌位ではやりたい。内容はそれだけのものを持っている。
ただし、裏方は大変だ、今回も伊奈理事始め、大縄さんなどが頑張ったが、とても付き合い程度でやれる仕事ではない。


それでいて、この種の展覧会は、いまだに企画の力量に掛かっていると思われる。
そもそも、ついこの間まで使っていた日常品を単純に並べるだけでは、芸術とは、壁に掛けてある泰西名画だったり、手の届かないところにあるものだと思っている人たちの関心の引き出しようが無い。


現代日本人には、何らかのインパクトなり、訴えるものを組み込んで仕掛けないと受けないし、理解もされないように感じる。
おのがデザイン行為への郷愁だけでは、一般の人には何の事やらわからない。


例えば村上隆君などと組んで、フィギュアとこれらの展示品との相関関係などを掴み出して見せれば、かなり面白い展覧会になるだろう。予感としては、僕はこういうことはかなり上手いと思うのだが、その能力を試す場はいまだ無い。
(ここには学芸員の養成問題、ひいては大学の文化政策学部系の問題もあるのだが、話が拡散しすぎるのでやめておく)


JIDAのためにも、デザイン8団体のためにも、近いうちに出来るだけ大きな仕掛けで何とかイベント化したいものだ,と願っている。