怖くて美しいシンガポールの建築と未来

【話題】  ●2月11日の【追記】あり。


Is "fear" brings a beauty?
Watching the beauty of architectures and city of Singapore.
How is it possible?


恐ければ、美しい?


建築ジャーナリスト渕上正幸さんのシンガポール建築ツアーの報告を頂いた。


シンガポールは都市として、ある意味でなぜあんなに空間的に美しいところがあるのかと常々思ってきた(誤解のないようにしたい。「都市の美」についてはいろいろの議論がある。ここではそれを承知で言っている)が、どうやら行政の目利きがいいらしい。


最近話題なのが、あの高層ビル3棟の上、地上200mに船型のプールを乗せた「ホテル・マリーナ・ベイ・サンズ」だが、思いつきをそのまま巨大スケールの建築にしてしまうところが凄い。(設計はモシェ・サフディ。確か昔、モントリオール博覧会で「ハビタット」という箱型自在積み上げ型の住宅群を設計して話題になったが、それ以降は、少なくとも日本では全く何も知られていないと思う。すでに70歳をとうに越しているはずだが、どういういきさつで設計を依頼されたのだろうか。相手はラスベガスのビッグ・デヴェロッパーだ)
このホテルを有名にしたのはこの屋上プールで、喫水線がそのまプールの端部になっているので、そのまま水と一緒に奈落の地上に落とされてしまいそうな怖さと一緒だ。


この例でもわかるが、こういう言い方をして良ければ、この街ではかなりの場所が「怖いので美しい」。
有名でないホテルでも高層階のベランダに出られて、そこがガラスの手摺のため、足元がすくむようだし、おまけに握り部分が経30センチもありそうなシリンダー状だったりして、乗り越えて滑り落ちそう。


淵上さんらが廻った怖い所に「ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ」の空中ブリッジがある。立ちそびえる垂直ガーデン・タワー群をサスペンションされた空中ブリッジが連結して、そこを渡るのは高所恐怖症の人には無理かも、とのこと。
これらの「回廊」があちこちにあり、それらの周辺は横断歩道に至るまでグリーンに蔽われている。
一方、ベルリンのユダヤ記念館設計で話題になったダニエル・リーベスキンドも、ここで4,5棟からなる巨大な高層ビル群を設計している(レフレクションズ・アット・ケッペルズ・ベイ)。それにOMAの巨大住居ビル「インターフェイス・ハウジング」も工事中とか。これらも何となく怖い。


一般に「絶景」というのは、景色で言えばグランド・キャニオンやテーブル・マウンテンなど、少なからず「怖い所」が多いように思う。最近のCG画像では意図的にこの「怖い場所、怖い風景」を取り入れているから、若い人たちには何でもないのかも知れないが。
美しいかどうかわからないが、少なくとも「空間の怖さ」をどんどん取り入れてしまい、それが心を揺さぶる時、人はある種の感動を覚えるのだろう。そういう空間への許容度は広がっているように思う。


ここでは、ホテルのロビーなどに掛けられているタブロー(モダン・アート)も実に気の利いたものが多い。
この怖くて美しい、緑溢れるシンガポールは、香港と並んで今やアジアでは抜群の商業基地となっている。シンガポールに芽生えた「美への考え方、感じ方」が何に由来するのか、一度詳しく知りたいものだとずっと思っている。
もしかすると、正統派都市型モダン・デザインの「継承者」はシンガポールではないか、とも思っているのだ。
それにしても悔しいね。しかるべき足場があれば、このような空間を創って見せられるのに。


【付記】
でも、こういう語り方がいわゆる「建築家」によくある偏向したもの言いなのだろうか。知っていることを吹聴する。そして自分の感じたことだけ言っていて、シンガポールについて何も語っていない。
この国について判ったことがあるので少し、付け加える。
教育立国で恐ろしく受験戦争のある国らしい。小学校4年生で見た数学、理科などの学力は世界1、2だという(日本は5、4位)。
小学校の成績(12才か)が「その後の人生を左右するひずみを生む。その一つが異様な少子化だ」という(出生率が1.20で日本より低い)。
「国民の対立をあおるような言論や政治活動はを厳しく規制」する一方、外国の著名大学との連携や学位交換に熱心で、シンガポール国立大学は今や東大を抜いてアジア1になりそう(英タイムズ2013の世界大学ランキング29位。東大27位。)
こうなれば、「限られた優秀な人材が唯一の資産」(リー・クアンユー元首相)のため、「国家予算では国防費と並んで教育費が2割を占めて突出」もうなづける。
「人材が鍵を握るアジア大競争の時代」に正面から取り組んでいる一方、「ゆとり」もない教育が何をもたらすのか悩んでいるようだ。(日経新聞2013/2/10より)


しかし、まだこれだけでは「なぜ目利きのいい都市デザインを進められるのか」の答えにはなっていない。日本の体験で言えば、受験競争が増すほど、感性に優れた人材が枯渇してきた、との思いが深いからだ。