7年後のオリンピッへの対応

【日記】 (多少の翌々日追記があります)



Gマーク展に兼ねて、デザイナーたちが7年後のオリンピックへの対応を論ず



昨夜、六本木ミッドタウンで、開催中のGマーク展の横で、デザイナーたちが7年後までに何が出来るか、どうすべきか、20人が5分づつ話すというトーク番組があった。
主催は「東京大会デザイン2020フォーラム」(仮称)で、公益社団日本デザイン振興会(JDPO)など5団体で成っていた。仮称が示すように、これだけに留まらないと思うが、実際、JDPO役員に「NPO日本デザイン協会」も加えて欲しい、と伝えてきた。
それにデザインと言うだけに、建築、都市計画のほうが入っていないわけで、これでいいのか、というところはある。


それはともかく、関心を引く発言をした人たちを、キーワード検索風に拾って見ると、以下のようになろうか。皆、デザイン関係者であり、主にJDPOが選んだ人物たちと思われる(具体的な専門職名や所属は省く。敬称も略)。聞き取り違いはご容赦を。


永井一正: 成功した1964東京オリンピックは勝見勝(かつみ・まさる=往年を仕切ったデザイン評論家)がまとめた(中心になるクリエイターが必要だろう)。
田川欣哉: ネット・メディアを生かしてで無償アイデアを仕分けしたい。
松下計: お上がコントロールして、中和、コンサバ(保守)系にならないために、小さなエキシビジョンを活かし、個人レベルの提案から大を成そう。
定村俊満: サイン計画にもハレとケが必要だ(ハレの舞台と現行のサイン・システムのシームレスな連携はどうする)。
田子学: メモリーはモノで残る。たった20日のためのデザインではない。
山中敏正: デザイン・モデルを創る時。1964年にはデザイン学会は何もしなかった。
原研哉: おもてなしを活かして、工場のようでない国へ。
田中一雄: ポピュリズムに走り、プロフェッショナルを尊重しなくなるのが怖い。ポリプロピレンのブルーごみバケツを溢れさせた失敗から学べ。
廣田尚子: 最先端のバリアフリー都市をおもてなし精神で構築したい。
勝井三雄: 子供が希望を持てる、世界に繋がるテーマを見つけよう。
福島治: 新国立競技場にかかる費用の1/1000で、参加する世界のパラリンピック選手を日本の各地へ招待できる。
久田邦夫: 粋(いき)を活かして、縦割り社会を壊し、デザイン界を統一しよう。
ムラタ・チアキ: 式年遷宮に学び、日本の心を体感できる経験都市へ。
深澤直人: 日本を見ている外国人が「DICIPLINE」(ディサイプリン)という言葉を使う。訓練されている、サービスが貨幣価値と関係なく行われている、などとなろうが、細部の手を抜かない、美しさ(強さ)を競う、きちっとしている、などでオリンピックに使える用語ではないか。「DICIPLINE」をどう見せていくかが勝負だ。
浅葉克己: 猪瀬都知事と話すタイミングを待っている。


こうしてみると、だいたいデザイン関係者の思いや心理が透けて読めてくる。
具体的な話では、定村氏のどうサインをまとめるか、福島氏のパラリンピックにもっとカネを、が納得しやすかった。感心したのは廣田さんのバリアフリー特化東京改革提案。 意外なことを言うと思ったのが松下氏(僕の十八番の部分に言及してくるデザイナーがまだ居たか、という勝手な気持!。但し、彼ほど「お上」を無視してはいないつもり。逆に大問題で、どう活用するかだ)。
原、田中、勝井、久田、ムラタ、深澤諸氏あたりになると、正論、同感だが、さて具体的にどうするかということになる。


さらに問題は、誰がどうまとめるかということになるが、ある意味で群雄割拠ならぬ群盲割拠とも言えそうな(冗談でありたいが)デザイン界は、百家争鳴で皆が勝手なことをやり、それでも良しということに成るような気もしている。
松下計氏によると、ラーメン屋は皆、個人が創意工夫で一家をまかない、全体として世界に冠たる「日本ラーメン文化」を知らしめた、という(アニメもそうだが、お上が関与しない方が成功する、という条件設定も忘れていない)。
さて、どうなるか、システム創りが下手な日本人が、これを機会にどうするか試されているともいえる、そういう意味では重要な7年間だ。
誰かが言っていた。50年先のヴィジョンと言われても手がつけられないが、7年は非常に具体的な時間設定だ、と。同感である。