この硬い、宝石のような炎で―英国の唯美主義から

【日記・論】


モリスは「美の巨人」だけだったのか

モリス・ペイター・ワイルドらについてもう一度



「ザ・ビューティフル・英国の唯美主義」展の感想については、この前のブログ(3月9日)で触れたが、このカタログにあった解説記事に非常に興味深いものがあった。
「この硬い、宝石のような炎で―モリス・ペイター・ワイルド―」というもので、日本女子大の川端康雄教授の書かれたものだ(以下の括弧内は直接の引用)。


1860年辺りの先進ヨーロッパの文化人、それも産業革命の成果から言えばまずイギリス人だろうが、その知的空気感とはどんなものだったのか、と問うた時に、うーんと答えに窮してしまう。特に我々のようなデザイン系作家レベルの人間にとっては。
すでに述べたし、よく知られているように1851年に水晶宮が完成し、ロンドン万国博覧会が開かれている。
川端先生はこういう時代に生まれていた唯美的世界観を、作家ウォルター・ペイターが1868年にある雑誌に匿名で載せた「ウィリアム・モリスの詩」の結論部分を引用することで、うまく説明した。機械時代の到来に慌てふためき、あるいは希望の光を見る人たちがどんどん輩出する中での、美への思いが吹き上がってきている様が読み取れるようである。
だいぶ長いので一言で言い切ってしまおうとするのだが、とても出来ない。まずこんな書き方(訳し方)だからだ。


「この硬い、宝石のような炎で常に燃えていること、この恍惚状態を維持すること、それが人生の成功なのである。……すべてが私たちの足元で溶けて消えてゆく間に、……感覚をかきたてるあらゆるものを捉えようとするのは当然のことだ。……わたしたちは〔限られた命の〕つかのまの時間の中にいて、あとは消えてなくなってしまう。……」
といった論調なのだ。さすがに作家だ。
こうして、ペイターは「高邁な情熱に費やす者」、つまり芸術に費やし時を過ごす者を、「最も賢明な者」だと言う。

「というのも、私たちのただひとつの機会は、その期間を引き延ばすこと、与えられた時間のなかに、できるだけ多くの脈動をおさめることにあるからだ。高められた情熱は……『人間への熱中』を与えてくれる」
とし、「情熱による恍惚状態」への賛美をもって、「唯美主義」の基本的な教義としている。


川端先生は、このベイターの文章によって、「モリスの詩(この時点での詩人モリスの著書「地上の楽園」第1巻などをいう)はペイターから見て『唯美的な詩』の典型的な作品であったことがわかる」が、「そもそもモリスは唯美主義者であったのだろうか」と問いかけている。そこが面白い。


事実、「(この)詩が書かれた1850年代から1860年代という、モリスの前半生の期間は、……きわめて非政治的であったと特徴づけることが出来る」が、「1870年代後半に至って突然政治活動に関わる」と、モリスの変貌の話になる。


「自身が社会主義者であることを宣言」し、「同志たちと社会主義同盟のを結成、機関誌『コモンウィール』の編集長をつとめ、多くの集会や講演会に出かけて社会主義大義を唱えた。モリスが最も活発に政治活動に関わったこの時期は、デザイナーとしてもひとつのピークに達していた時期であった」


モリスの話は続くが、面白いところはモリスが、もっとはっきり言えばデザイナーではほとんどモリスだけが、唯美主義活動の続く中で、中心的に政治活動面も引き受け続けたらしいところだ。

「モリスに倣って芸術批判の観点から革命的な社会主義運動の大義に積極的に連なっていったデザイナーは多くはなかった」 「多くのデザイナーたちは政治活動とは一線を画しており、社会主義運動への共感の念を欠いていた」 「いずれにせよ、アーツ・アンド・クラフツ運動のそうした『非政治的』側面は、唯美主義運動の主調と共通する部分であったといえよう」と川端先生は言う。


あと、オスカー・ワイルドの政治介入の話があるが、モリスで切っておこう。
このことがあって、モリスの別な側面を発見し、非常に勇気付けられた。
そこで思い余って、川端先生に感想を送った。

以下の文面。



川端康雄先生

前略、未知の者からの便りです。
デザイナー(建築家でもありますが)としては、活字中毒かな、と思い、そろそろ離れようかと思っていた矢先、先生の文章を発見(「ザ・ビューティフル・英国の唯美主義」展カタログの解説)、共感出来る深い読みに感服致しました。
モリスが著述も大いにしていたと知り、活字から離れなくてもいいのかなという気になっています。
恥ずかしながら、モリスもワイルドもまったく表面的にしか理解せず、わかった気になってこの40〜50年を過して来たことがわかりました。
この時期のアート&クラフト運動は、その背景をうまく整理すれば、ある意味で、ちょうど今の日本に必要な運動に置きかえられるはず、と一人合点した次第です。
適切な文面でいろいろ教えて頂き、有難うございました。乱筆ながら、まずは読後の感想まで、 早々

平成26年3月8日                         大倉冨美雄



今、読み返すと、活字、活字と言っているが、政治社会活動面(実際にどこまでやれるのかは別にして)を含んだ意である。もうちょっと説明が必要だったかも。
この後、すぐに先生からメールの挨拶を頂いてしまった。合意を頂いているので以下に。



大倉冨美雄様

お手紙拝受しました。「ザ・ビューティフル展」カタログの拙文につきまして過分なお褒めの言葉を頂戴し、恐縮いたします。
モリスが美的な観点から語られるのはよいとしても、当時の政治・社会の次元を捨象して「美の巨人」としての面のみを強調することに違和感を覚えており、それであえて芸術・政治両面の前衛運動に関わったモリス(そしてワイルド)を強調してみました。

大学紀要などと違って展覧会カタログはさまざまな興味関心をお持ちの方々の目に入るということで期待しておりました。貴殿のように反応してくださるのはたいへんうれしく存じます。
どうもありがとうございました。

通常の書簡にてお返事すべきところ、開催予定のシンポジウムの準備など立て込んでいるため、電子メールでのお返事となりましたこと、失礼お許しいただきたく存じます。

ここに来てだいぶ春めいてまいりました。まだ寒さのぶり返しもあろうかと思います。
くれぐれもご自愛ください。

日本女子大のレターヘッドと川端先生の名前)