日本発のイノベーションがいかに難しいか

【論】  追記あり●〜●部分。 2014/4/11



シリコンバレー版:「出島」を造る意味



4月2日のこのブログで、近いうちに公表するだろうと書いたことに関係するが、そこで言外に言おうとしたのは「日本人にとって、とても難しい」という感覚だった。討論をしていても直接、話相手に「あなたはわかっていない」といいにくい状況があり、当方だって、そのことを論理的に説得できるようなものだとも思っていない。
そういう苦しい思いを抱いて資料を整理していたら、他の場面から「そのこと」を言っている人が居たことがわかった。なんとそれは米シリコンバレーに移住して23年という校條浩(めんじょうひろし)さんという人だった。大阪市の特別顧問でもあるそうだ。


「日本人にとって、とても難しいこと」とは、どういうことか。シリコンバレーは、まったく新しい創業に向く地として知られ、自由の空気にあふれているようだが、そこと比較して彼は言う。「シリコンバレーの気風をそのまま日本に根づかせるなど不可能だということです」。「日本人は『人に迷惑を掛けてはならない』という気持が強く、イノベーションに行き着かないのです」
ここからの話が、僕にとってより実感をもってうなづけるのだが、だからと言って、日本企業が外国人を採用しても「企業の空気を吸って日本の慣行に染まってしまう」。それを避けるために「城壁を設けて、ここで起業してもらう」ようにすべきだというのだ。
つまり、江戸時代の長崎の出島のような地域をつくれというわけだ。(朝日新聞「耕論」日本発イノベーション:2014/2/28)


これについては、僕にも思いがある。すでにこのブログのどこかに書いたような気もするが、ミラノにいた頃、領事だった金倉さんと話す機会があった。その時、おもいつきで言った話だ。千葉かどこか、東京に近い所をイタリアに「割譲」し、イタリアにおいてもそのような条件の場を「割譲」してもらい、それぞれをイタリア領、日本領として交易したらどうだ、という話をしたのだが、金倉さんは大笑いして「面白い」と言って下さった。校條さんの提案は、ちょうどこれに似た発想だと思えたのだ。


●ここで追記しておきたいのは、イノベーションと言っても技術開発だけでなく社会構造の変革も意味していて、そうなるとアメリカにはある「社会貢献への寄付の精神」とでも言うような社会的メンタルの国民的有無ということも含まれる、ということだ。事業に成功した者が、資格や条件に囚われず、全く無益な事業や文化活動、才能ある個人への投資などを行い、それを無税にし、国民に「精神的潤滑油」をもたらしているらしいことも「日本人にはとても難しいこと」の別の面であろう。●


言うところは、いかに日本人が、日本にいて「イノベーションや、国際的な人間関係における距離の自己覚醒が難しいか」ということだ。
こういう「ありえそうもない具体例」ででも出さないと、その実感を伝えることができない苦しさと悲しさがある。
そこで言っていることは、それがいいとか悪いとかではなく、日本人がある意味で、いかに特殊な民族かということでもある。ちょうど、この「耕論」のもう一人の論者は知人でもある妹尾堅一郎(せのおけんいちろう)さんで、同じように、言い訳しているが、真のイノベーションが分かっていない経営者への苦情を連ねていた。


そこで今や、「技術の良い悪いではなく、ソフトウエア、ものづくり、サービスをどう結びつけるか。工夫次第で……などあらゆる産業が一変する可能性を秘めています。シリコンバレーの人たちは日本は閉ざされていると感じています」から、早く国を開いて知的エリートを集め、社会変革をもたらすような大きな舞台にしましょう、ということになる。
実は4月2日の予告は、建築家集団内におけるイノベーションの糸口を見つけようとするものだった。
こういう産業界にあっても、このままの日本人では駄目だと言っていることは、その関わりも無縁ではない建築界でも、通用するものがあるということだろう。