判り易い「評価の下がった建築家」像

【日記】     ●印に注意を求む



気分転換に、

といっても、引き続き建築家の話で忸怩たる気持ちだが、最近、こんな記事を教えてもらった。



「一時期、私の書く小説のヒロインが恋をしたり、不倫する相手役の男性の職業は建築家がとても多かった。
なぜかというと…ロマンティスト。…世界を駆け回る。…事実私の周りには、カッコいい建築家がいっぱいいた。…」

これを書いているのは誰だと思う?


林真理子だ。(「夜ふけのなわとび」週刊文春6月25日号)
その中に、林に「一時期」と言わせた理由の説明になる部分があった。


「バブルについてはいろいろな評価もあるだろうけれど、僕たち若手の建築家にとっては最高の時代だったよね。大金をつかんだ若手の経営者たちは、次々と新しい建物を建てて、若い建築家に好きなことをやらせてくれた。日本の建築家が飛躍的に伸びたのは、あの時代があったからだよね」(竹山聖)


そんな知識を貰っていた彼女の家に最近「大事件が起こった」という。
寝室のエアコンが壊れ修理するのに、自慢の美しい白漆喰の天井の裏に本体が隠してあったために、これを壊して大きな孔を開けなければならなくなったのだ。大工事である。
「うちの建築家の先生はデザイン重視だからねぇ…」と言い、最後にこう断罪する。
「新国立競技場ほどではないが、わが家も建築家のこだわりゆえに悩みは多い。」


最近、あちこちで困った建築家の話が出てくるが、これもその例である。
当然、話しの中段に「困ったデザイン重視」として、
「だから今回の新国立競技場騒ぎにはがっかりした…
もうこうなったら、建築家(ここでは直接にはザハ・ハディッドのことを言っている)にごめんなさいを言うしかない。そして辞退してもらうべきであろう。…」


建築家としては、一方でこうも直截に言われてしまうと、「ちょっと待って。その考え方はもう古いと説明させてください」と言いたくなってしまうが。


●なお、この前の6月26日にも触れたことで、同業者に火をつける気はないが、結果的に隠蔽すべきでないと判断した自分の気持ちを述べた記録がある。
当ブログ「安藤忠雄さんの功罪、というより期待したこと」2014/1/25 参照。