思いやられること

【日記】



あまりにも、いろいろのことが起こる。
それは日々の小事から、この時代の本質に関わるような問題まで――もっとも、そのことに気づかなければ無いと同じだが。
昨日までの大雨が栃木、茨木、宮城などのもたらした被害について、何もできるわけではないが、やはり、読めない自然現象への前倒しの情報とそれへの対応の難しさ、どうすれば決壊しない堤防がつくれるかとか、警戒水位以上に床上げをする住宅を河川の近郊住宅などに造る法規はどうかとか考えてしまう。
その端で、今夜は何を食べようか、あそこの店はもう行き飽きたけれど、他に旨い店を探していない。もっとも多忙にかこつけて新しい店を開拓していない。その裏には、新しい店にはどうも落ち着かないという田舎者の性格もある。こういうことも、やることが決められずイライラが増殖する理由になる。


で、一つ判っているのが、あまりの情報の多さだ。新国立競技場問題、オリンピック・パラリンピック・エンブレム問題のフォローもあるが、ここしばらく自分の発案企画で問題にしている「今が転換期」というテーマの観点で見えてくる問題には、資本主義経済の行き着く場として、格差問題から中国経済の停滞まである。
こんなことまで気にしたって、何かを変えられるわけではなく、身の回りの整理さえできずにいるわが身の空しさを感じざるを得ないが、やはりカネが無くて運動しているデザイン団体なんて、どれだけの運動価値があるんだろうと思わずにはいられない。


今日、日本総研から郵便物が届き、内容はセミナーの紹介と広報の依頼だった。
内容は「地方創生時代における官民連携活用セミナー」で、例の藻谷浩介氏がおはこの「地方創生と里山資本主義」を講演する。それを東京では300人を参加無料にするという。
ある意味で似たことをやっていても、参加者に1000円とか1500円とか払ってもらわないと、どうしても立ちいかない自分の企画に悩んでいる眼には「どうやるんだよ?」と思わずにはいられない。
比較しても始まらないと知りつつも、知っていたつもりの日本総研ってどんな会社だったんだろうと改めてホーム・ページで調べてみると、やはりギャフン、参った。
元は住友銀行がつくり、三井住友フィナンシャルグループが株主になっていて資本金は100億円、従業員は2198名で世界中に支店がある。藻谷氏はそこの主席研究員だった。
つまり巨大なカネが動いているのだ。官僚の天下りもたくさんいることだろう。むしろそうして官民連携の足場を創っているはずだ。だから続く講師をみていると、総務省地域力想像グループ地域政策課誰々、国土交通省土地・建設産業局不動産市場整備課誰々、などと出てくる。こうなると講師に官僚を呼ぶのは簡単だろう。むしろ国の方から整備事業推進のために、日本総研を利用しているのかもしれない。


こうでもなければ、官僚を動かすことなど出来ないだろう。理念もあるが、バックはやはりカネが動かなければ何も動かせない。そしてコネだ。血脈を除けば、カネや組織の力なしで主要官僚と深いコンタクトを取るには、中、高、大学で一緒の飯を食った想いの繋がるような人脈でなければだめだ。しかも東大に限られるだろう。


総務省といえば現総務大臣高市早苗氏だった。議員売込み中の彼女には何度か会っていて(と言うことは仲間たちと彼女を招待して)、いまでも後援会案内が来る。かって、さる劇場で少し離れた所から声を掛けたら、隣の男と顔を見合わせて笑われて以来、出たことはない。勘違いかもしれないが、それまでに会話を通じて感じていた親近感が思い込みだったことが判ったのだ。
デザインとか建築が国の柱にでもなっていなければ、カネも人も動かない。政治家の方から理念を語られるような人材はほとんどいない。彼女にもあっさり逃げられるのは明らかだ。そうだからと放っておくのは弱気だという人は、この国がその中核がいかにカネ毒されているのかを深く知らないのだ。もちろんこちらは、それを承知で戦ってはいるのだが。