最近、頭に来たこと

露骨な言い方を許して貰えれば、最近、頭に来たことがある。

自分の縁のあった団体から出された70周年記念出版の書に、6年間理事長だった僕の事が一言もないのだ。

 

最も、高齢者は引っ込んでいる方がいい、という社会通念はある。

それから執筆者は全部、今の自分の視点で生きているわけだし、更に、同業職業の欠点として、自分の事しか関心が無い、言わないという傾向も知らないわけではない。

それにしても、あの時代の、自分の仕事を割いても努力した結果は何だったのか、と思わずにはいられない。

 

その上で更に、判った、と自己了解したことがある。

20年ほど前のあの時代、自団体のために奮闘したが気が付いてみると、それは「外部に対して」だったのだ。

外部への成果はその時代には評価されるが、よほどの社会的に見える成果ならともかく、時が過ぎれば事実化され、忘れ去られていく可能性が高い。例えば省庁との交渉成果や、職能の経済評価を高めた成果などは、内部的な記憶では見えにくいし覚えておきにくい。特に、デザイナーの契約や設計行為の経済評価からの保護などについての苦闘は非常に見えにくい。「契約と報酬のガイドライン」という資料を出版したが、大きな評価は、それが実務ベースで実現するにつれ、時と共に忘れ去られてきた。それは言葉にならないが《大倉がやったことだ。俺は知らない》という無意識の意識になっていくのだろう。

一方、団体内部での組織改革や、いわゆる部活動は、その担当者(理事や部会長、あるいは個人意思での実践者)の努力が大きい。事務局的な視点からすると、内部での調整や活動成果の方が、はるかに記憶に残る可能性がある。

こういうことが、執筆を依頼されると現実化するのだろう。

ここからわかるのは、年史の編集には「個人の思い出の集積集」と、「組織の存在意味に関わる論理的な筋道からの歴史」の二通りがあるということだ。