*ナイーヴな学生との対話

*ナイーヴな学生との対話


小杉由布子さんは実践女子大でデザインを学ぶ学生。JJ(JIDA JUNIOR:前出・5/11参照)のメンバーである。
しばらく前に、こんなみずみずしいメールがあって、少し話をした。


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先日は遅くまでありがとうございました。

新日本様式(下記注)の映像見させていただいて思ったのですが、日本らしさって今の日本にちゃんと残っているのでしょうか?
カメラのデザインが刀をイメージしているだとか、建築でも見る人がみたら、一部に江戸の文化を取り入れているだとか(本に書いてあったんです)。でも、それって普通の人達は気がつかないと私は思うんです。
それでも一般に受け入れられているってことは、日本人がそもそも持っている心が、そういう風なものを自然に受け入れてるんじゃないか、って思うんです。それはそうだって言われるかもしれないけど、ちゃんと気がつかないと、次の時代は見落としちゃうところかもしれないな、って不安になったんです。


「日本らしさは?」って聞かれたら、なんだかんだ言ってもやっぱり四季折々の自然だったり、今は消えてきてしまった行事だったりするのだな、って見ていて思いました。
だからデザイナーみんながみんな、頑張って今までにない新しいものをわざわざ作り出そうとしなくても、マスコミも「これこそが今の日本にはピッタリだ!」みたいな売り方しなくても、「良いものはいい。」で、しっかりと受け継いでいけたらいいのにな、って思いました。


では、またお会いできるのを楽しみにしています。


小杉由布


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小杉さんへ

メールを有難う。傍に居ながらも話はあれこれあるから、ある流れについて行くのもままならない、というのが、あの呑み屋での雰囲気でしょう。難しい話を判りやすく、呑み屋でみんなにするのは難しいものです。


映像のことでは、自分がメガホン握ってカメラを覗くのでなければ、そして予算と時間がなければ、思うような作品にならないことがわかりました。


映像制作の問題はそれとして、あなたの思いについて。
今の日本人は確かに一般的に言って、何がいいのか分かって居ません。おもしろければ、儲かれば何でもいいという雰囲気です。こうなると日本の伝統がいいものだとしても、「意識していいものだとして取り入れてきた伝統がないので」、たまたま面白ければ取り入れるという域を出ないのでしょう。
この状態が、「明治130年、江戸文化を忘れかけ、一方でマネの習性が新しい創意に向かない」中途半端な過渡期に、現在の日本人がいることを示しています。
つまり、あなたの心配は、ある意味でその通りなのです。
このあと、クリエーターが感性の自然讃仰に向かうのか、形象化に向かうのか、というデザイン問題的視点はありますが、ここは個々のクリエーターの、「そのことを承知しての」活動によってしか実証されないのでは。 つまり一般の人はついて来るだけなので。 むしろ一般人のことも考えると、教育による啓蒙とか、創造する者への評価(国家的顕彰、優遇税制など)という「社会の構造に関わるシステムの改革」の方も大切です。

大倉冨美雄


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ご返信ありがとうございます。


>おもしろければ、儲かれば何でもいいという雰囲気です。


すごく感じます。波に乗ったら売れるうちに売っちまえ!みたいな芸能人の売り方に似ている気がして、そんな作品を見ると何だか切なくなります。
それでも、実際売れてしまうから怖いのですが。
売れっ子だからこそ、お金と関係なく、世の中一般に知ってもらう機会だから、本当に良いものを提供しようって思って提供してくれたら、一般の人達に良いものを広めやすいと思うし、みんな目も肥えてくるし、街中も、家の中も良くなりやすいと思うのですが…。なかなか難しいのでしょうか。


「鉄は熱いうちに鍛えよ」と言いますが、世の中の流れも、誰か一人が悪いならそこをちょっと改善すればいいけれど、もうすでに流れが完全に出来ていて、そこで満足する人も大勢いてしまうと、いったい何が悪いのか、私にはわからなくなってきてしまいます。世の中だけでなく、自分自身の悪いとことも早めに向き合わなければいけません・・・

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ではまた。

小杉由布


「新日本様式」・・・本ブログ、2007/4/22、3/24、3/9、2/8 を参照。