*@デザイン学会にて

*教職母校というべきか、奉職していた静岡文化芸術大学でデザイン分野の学会があった。
参加したので、主要な話題を取り上げる。


―日本デザイン学会春季大会報告(2007/6/22・23・24)― 

            

三日間にわたり静岡文化芸術大(浜松)で行われた大会の二日目に行なわれた「オーガナイズドセッション1」が興味深いものだった。
もっともこのセッションは、前もって開催された日本デザイン学会第二支部の活動(「車座の会」)で集められた意見をたたき台にしているようで、その意味では発言者の位置や、互いのスタンスがある程度判っていて始められたようだった。


オーガナイザーの松岡由幸慶應義塾大教授の「多様性」を軸とした要領の良いイントロで始まり、デザイン実務界と教育界の合流と、「期待としての対峙」による討論であることを予感させた。
まず、浅香嵩JIDA(社団法人日本インダストリアル・デザイナー協会)理事長がフリーランス事務所の視点から分野の拡大と、ヒト・モノの見直しの必要性をうまく整理してくれ、山内勉JIDA前理事長は、企業と教育現場のズレがあって当然と言い、「教育とは将来価値を生む事業」と位置づけ、「未知を既知で教える冒険」と締めくくった。誠にその通り。それを受けて、横田英夫JIDA理事は自らが主宰する会社の事業内容から、情報収集力やプロセスに注意を向け、商品化の時点と商品開発におけるユーザー・リサーチや先行開発エンジニアリング、スタイリングと操作性の両立、明快で魅力的なGUI(Graphic User Interface)の確立などのデザイン分野の所在と再教育の必要性を明らかにした。


ここで教育界に移り、君島昌之東京純心女子大教授は小中高等学校各レベルでのデザイン教育不在について語り、清水泰博東京藝大教授は、完成しブラックボックス化もして、個人の創意を組み込めなくなった現代産業デザインへの対峙の仕方として、コラボレーション研究を進めていると語った。石崎豪カーネギーメロン大学教授は一般学生や他分野の教育専門家の間でも、ビジュアル・デザインの意味が判り始めており、この方面への教育システムの整備を図っているとのこと。
須永剛司多摩美大教授は、論理的実証に傾きすぎているデザイン教育への警鐘を告げ、クリエイティビティからのデザイン説明責任の必要性を述べ、小林昭世武蔵野美大教授はデザインの基礎教育に視点をおき、訓育をベースに、流れ(文脈)は産業か文化かの目的によるか、習得知識の使い方によるとした上で、基礎は理念とデザイン活動の相互作用によるとした。最後の木下武志山口大学大学院講師はバウハウスの理念は継承されるべきとの立場から、開拓されなかった「コンポジット」という概念での基礎教育展開を図っているとの報告があった。


これだけ大勢の人が、自分の理念と経験を基に話すと、デザイン問題の膨大さと整理の難しさを一緒に持ちこむ事になる。
松岡さんはこのことをよく知っており、研究面でなく、教育面でのデザイン問題の多様化に伴う課題が山積していることを、自身の分析でうまく分類している。それでも多様な方向を向き、位層の異なる発言を整理するのは難しかったようで、実務者側と教育者側の「落差」を埋めるには至らず、言いっ放しにされた感が強かった。


僕は最後に会場から発言させてもらったが、須永さんの「教育現場が実証に傾き過ぎる」という意見からクリエイティブな人間力を問う姿勢に特に共感したことを述べ、これを実現させるためには、大学を出て社会、特に産業界の空気を数年吸った上での再教育が必要であるとし、それは大学院ではないものであるとして、このシステムを国、文部科学省なり文教族なり、あるいはメディアに政策提言してゆくことが必要だと述べた。
一人で長く述べることが差し控えられたので、詳述できなかったが、正確には、大学院でもよいのだが、現状を見ていると、大学の学部教員が大学院でも教えているような、「そういう場」ではないだろうということが言いたかったのだ。
また政策提言は教育側も実務側も一般的に言って、守備範囲から逸脱している分野であり、今や、ここまで降りて、あるいは昇ってまとめないと、真のデザイン、デザイナー教育・育成問題に辿りつかないだろうことを言ったものだ。変に政治づいていると取られたり、荒唐無稽なことを言っていると取られることを危惧するが、パネラーの石崎さんはこの提案に気付かれたようで、「ポリティックス」という研究分野も意識しているとの返事があった。


全体を通して、ここには根本問題が隠されていて、須永さんの気付いている問題は、近代以降の合理主義精神の成果をどこまで容認するかという問題に繋がっている。このことが、産業のあり方、エコロジーへの認識レベルを決定的に変えるはずと思う。
松岡さんがまとめている「慶應先端デザインスクール」も、本人がことわっているように、理工系大学院生が主な対象である。美術系や生活科学系の分野とも、これからの連携を視野に入れているとのことだが、科学になり切れない問題に巻き込まれることにもなろう。
創造の原点を科学化することに反対するのではない。だが、人間の多面性と複雑さは、創造の何たるかを知る者がこれを応用するのならともかく、分析し切れば答えが出るようなものではないだろうと考えるのである。
何よりも単純な話、あまりに科学化と合理化を要求することによって、真のデザイナー、つまりクリエイターが育たなくなることを畏れるのである。このことを担保して初めて、デザイン問題であろう。


(追記)
1)パネラー各位及びオーガナイザーの松岡さんが、このブログを何かのきっかけでご覧になった場合、そうでない場合でも、各位のご意見、お考えを、当方の一存で一刀両断してしまいました。誤解があればお許し願いたいと思います。また、その分についてはご教示下されば幸いです。
2)各位の敬称は、学位呼称で以外は親しみを増す意味から、「さん」づけとしています。悪しからずご了解下さい。