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何も話すことが無い。
これが宮間が付き合っている由香利との関係を端的にあらわす言葉だ。
6年前に、子供が出来なかったこともあるが、どうしても相性がわるくて妻と分かれた。今は事実上は独身だ。
出て行った妻の後を襲うように由香利との同姓生活が始まったが、当然、妻に隠れて付き合っていた関係だった。

由香利のどこが気に入っているのかといえば、簡単には説明できない。口数が少なく、それも好感のうちだが、結局のところセックス上の相性がいいということしか考えられないと宮間は思っていた。
普通ならこの年になると、妻であれ同棲相手であれ、セックスは、又かという気持ちになり萎えてしまうものだが、由香利との関係はそうではなかった。


石岡に依頼された別荘の設計は何とか決着がついたが、実際には持ち出しが大きくなりすぎ、何とか振り込んでもらった設計監理料では、他の設計収入と合わせても事実上、事務所の維持は無理だった。

自分の性格がずさんなのか、これまでどんなに苦労しても、結果的に建主との間がうまくいかなくなる場合が多く、宮間はかなり疲れていた。
数年前までは事務所のスタッフも3人抱えて、かなり元気がよかったつもりだが、不況が来たとたんに依頼が無くなった。


南と宮間は旧知の間柄で、南は宮間の仕事振りを知っていたが、その、ある種のいい加減さが気に食わなかった、というより、あれでは駄目なんじゃないかと思っていた。
例えば、打ち合わせに三度に一度は遅れるし、携帯に電話してもなかなか出ない。主体性があるといえば聞こえがいいが信頼関係が揺らいでゆく。これでは同業としてもサポート出来ない。

とはいえ、他方でそれが南にはなんともうらやましい気持ちになるのだった。
それは自分がイタリアで実感していた、自己中心主義の社会観を宮間が簡単に実践しているように見えるからだ。


真吾は最近、宮間と飲んだ時に、彼との間にこんな話があったことを思い出した。
「男には所属不明で、何のために生きているのか自分でもわからなくなる時があるだろう? 特に俺みたいに家庭が崩壊して何も無い、言ってみればまったく自由の身になったというのに。まったく自分を見失ったような気にもなっているんだ。何かをして気を紛らわせたい。でも事務所に居てもやる気がしない。今はまったくのスランプだよ」
「こういう時に、これまでの自分の仕事を整理したらどうだ」と、真吾。
「それがやりたくないんだよ。実際のところ、建築家という職業に嫌気がさしてきてしまってね。虚無感って言うのかな。
うまく説明出来ないんだけれど、自分の苦労が明らかに報われないで終わるような予感がしてきたんだ」
「おッ、それは凄いことを言うね。なんとなく判るような気がするけど」
「それは同業者だから当然だと思うけど。君はイタリアにいたからある面、僕らより感じているものもあると思うけど、今度の設計でつくづく感じたんだよ」
「あぁ、このところやっていた、あの軽井沢の家のことだね」
「そうそう。仕事は貰ったんだけど、なかなか払ってもらえない上に、希望が多くてね。それがどんどん難しくなるんだ。じゃあ、日程の延長と経費の上積みを、と言ったら、それは予算内でやってくれと。もともと工務店に頼めば、おたくの費用は必要無かったんだから、とか言われてね。まぁ、いつもの当たり前のことだけどね」
「それはお互い様だよ。僕だって常にこの問題で苦労しているんだから」
「だけどさぁ、いつまでこんな事で苦しまなければならないんだ?」
「言っとくけどね。僕もこの問題ではずっと考えている。これはあと30年位は変えられないと思うよ」


真吾にしても、「この問題」は大変に根の深い問題だと最近つくづく思うようになってきていた。
特にいわゆる耐震偽装問題が発覚してからの展開は、一段と建築家を育てない施策になったと感じていた。
それは彼にとっては、法律を誰が決めているかという問題に帰結してきていた。もっと言うと、法律を決めている人たちの脳の構造の問題だと思うようになってきていた。