@鐘の音と都市国家

【情報・論】


遅ればせながら、講義の経過2回を続けて紹介(2回目は後日に)


「イタリアと日本」何が見える?  第4講 鐘の音と都市国家          20091027


このテーマ辺りになると、塩野七生さんという大ベテランがいるので、話しにくい。
延々とローマ帝国からの都市づくりまでになってくると、歴史と時の権勢などを踏まえて話さねばならない。
それはもう、建築家やデザイナーの本職ではないだろう。だから職能の立場らしく、生活実感の中からの「都市国家」観というあたりにとどめ置くしかない。しかも今回は、日本との比較というようなことがあまり意味がないと思われるので、独自の話となりそうです。もっとも、今盛んな地方分権問題を考えるという視点からは、重要な先例を提示することにもなりそうです。
そういうつもりで聴いてください。


●かくも独立心の強い地方住民。サッカー熱にみる現地色。
サッカー(現地名はカルチョトト・カルチョはもちろん、ここから)熱の凄さは、もう日本人も伝え聞いている人が多い。ミラノにはミランとユーベントスという2チームがあり拮抗している。主要各都市にはたいてい一つのサッカー軍団があり、いわば都市対抗試合になっている。このため「おらが街」への思いは、地元サッカーチームに代弁されている。これは最近の日本でも同じ。
このことから、自分の住む都市の自主独立が生活上の願いとされ、その分、普段は国家という大枠があまり意識されないことがわかる。

●すなわち、自分の住む街(都市)がひとつの国家であるかのようだ。
住区での不満があれば、そのままイタリアという国への不満と同じになる。見方を変えると、抽象的な国の強制力や存在感が薄い分、身近なシステムへの依存度と実感度が高まるということかも知れない。

●陸路で侵入されることは少なかった―やはり峻嶮なアルプス山脈
ナポレオンのアルプス越えあたりから、一般化されたのだろうか。やはりアルプスは峻嶮で、簡単には超えられなかっただろう。そこで当然文化はゲルマン系とラテン系に2つに分化されたまま交わらなくなる。

●スイスのカントン・ティチーノ地方の問題―進んでスイス国民に。
ところが、アルプスの南麓に当るカントン・ティチーノ地方は住民投票の結果、自分たちはスイス側に属することを決定したという。もっとも15世紀ころからミラノ公国に逆らってアルプスの原住民側に協力し、その背後にフランスの勢力の応援があったようだから、長い間、どっちつかずの立場にはあったようだが。会話はイタリア語系だ。確かスイスはドイツ語5割、フランス語3割位に聞いたので、2割くらいか。
サン・マリノはその孤絶した地形上の位置からか、そのまま独立した。文字通りの都市国家だ。ヴァチカン市国もローマ法王庁の所在地ということで治外法権をもち、独自の行政を行っている。ユーロになったことにより、これらの国の通貨もより自由度が増しているのではないだろうか。

●フリウリ地方の問題―オーストリア帝国が海に向かって押し出してくる。
ヴェニスから先、及びその北の方をフリウリ地方という特別行政区だが、一度、ウディネまでしか行ったことがない。イメージとしてはゲルマン系の色が付いて来ているように感じた。第1次大戦前はオーストリアの領土だった。そこまで行かないでも、ヴェニスの北方にある北からの入口に近いヴォルツァーノは観光地だが、町中の新聞スタンドは半分以上がドイツ語のものだった。
聞くところでは、ヴァイキングも船で地中海に入り、帰れずにこの地方に定住した者たちもいたという。こちらの方は、イタリアとは言っても、ゲルマン系が深く交わっているように感じられる。

●南は船さえあれば、どこからでも―アフリカと地続きのよう。西ゴート民族の流入もあった。
地中海も海岸に行ってみれば、やはり「海」だ。船を使ってしか渡れないし、それもボートみたいなものでは漕ぎ着ききれない大きさと見えた。それでも歴史からみれば、いろいろな民族の侵入を受けた。西ゴート民族というのはアジア系で、アフリカの北部から流れ込んだ。もちろん、黒人系も流れ込んでいるはずだ。
ジプシー(イタリア語でジンガリ)はパスポートを持たない移動民族でそこここに出没しているが、どういう系類に属するのだろう。
このように、人種的には大きな混淆が進んできたのがイタリアだ。価値観が統一出来ないのも仕方ないだろう。

●丘の上の町の出来方
海岸線で、防ぎようがない。このような雑多な民族の侵入・襲来がたびたびあることが、自分たちの町は自分たちで守るしかないという機運を育てたと考えられる。その維持の仕方は、日本の城もそうであるように一般的には丘の上が一番防御に向いていたのだろう。その場合のサブ条件が水源の確保。

トスカーナとウンブリア
フィレンツェを含むこれらの中部地方は、そのうねうねと続く丘陵と、所々に点在する高地や岩山によって、都市国家をつくる源流となっていったようだ。その高地や岩山に町を造ったのだ。丘陵の多くはブドウ畑となった。

●鐘の聞こえる範囲とカンパネッラ。
こういう事情から、町の中心に造られた教会の鐘楼からの鐘の音が聞こえる範囲が、その地域生活圏であり情報流通圏であるということになっていったようだ。
教会の鐘をカンパネッラという。カンパニーの語源でもある。
これらのことから、教会を核にした一国一城の成り立ちが見えてくるようだ。