@東京タワー

【日記】



東京タワー、それは何だったの?


昨夜、初めて東京タワーに昇った(笑)。
なぜ今頃? 実は、慶応大学と港区が主催するアート・マネジメント講座のまとめテーマが「東京タワー」なのだ。
夜7時、ここの3Fのカフェで打ち合わせということで行ってみる。
打ち合わせが終わって帰ろうかと思ったが、ふと、一度も東京タワーに昇ったことがないことを思い出した。
せっかくの機会。スカイ・ツリーも出来るし、解体されてしまうかも。今昇らなければ、もう一生ないだろう。
時間を見ると軽く食べて昇る時間はある。
ぼくは一人で切符を買った。


そもそも関わりのきっかけは、東京タワーほど陳腐なものはない、エッフェル塔に対して国辱ものだと思いこんできたことを発表したら、それをテーマにまとめて、ということになってしまったからだ。
いろいろな人がいるもので、東京タワーに青春の勇気を貰った、東京タワーを見ると元気が出る、という人も居たのだ。


この落差は大きい。そこで「東京タワーって、何だったの?」という統一キーワードらしきものが提案され、それに沿って東京タワーを検証しようということになったのだ。一回はやってもいいだろう。


夜9時ころの高さ150mのタワーの展望台はどうなっていると思う? がらがらと思いきや、ヤング・カプルがほぼ四周の窓の全面に張り付いていたのだ! おやじや爺さん、婆さんは絶無(笑)。外国人はちらほら。
でも、そんなに人気があるの? そばで聴いていると(聞こえてしまう)、景色の話はほとんどしていない。この高さで恋を語ることが心を上気させて素敵なのだろう。もちろん、キスの進行中の方々も。


それで気がついたが、この高さから見た東京は全面光の海。すごく電力を使っているが、それなりに端正で、さすがに大都会というイメージ。というより、細かくて同質で、いかにも東京らしい。なにより,この不景気の真っ最中の夜の9時というのに、多くのオフイスの灯が消えていないのだ。働き者だなぁ、日本人は。そう思うと親しみさえ湧いてくる。
同じくらいの高さのビルもチラホラ出来ていて、東京湾もビルの林立であまり水面が見えない。四周、万遍無くビルの窓からの光が散らばっていて、どこかに大きく黒ずんだ部分があるというわけではない。皇居や新宿御苑でさえ、光の交配の中に消えているようだった。
ルック・ダウン・ウィンドウというのがあって、足元の床が一部強化ガラスになっている。そこからみても、外からみても、へー、こんなにきゃしゃに出来ていたのか、というのが意外な発見。スカスカの鉄骨組みだ。


同じような回廊に六本木ヒルズの展望階があるが、あちらはモダンで大きい分だけ冷たく、よそよそしい。
こちらは建設年代から言っても手作り的な親しみがある。また、10時閉館ということだが、足もとまで車で来られることがデートコースになってきたのだろう。


さて帰ろうと思ったら、別料金でまだ250mまで上がれるという案内。何か追加請求をされているような気になったが、そこはそれ、もう2度と来ないだろうと思っているから止めるわけにはいかない。さらに上へ!


ここもヤングの巣。ぐるりと回るのに、直径10mくらいしかない回廊を鉄骨を除けて通る。
この高さにになると、東京湾の湾形がくっきり見える。一段と見下ろすような感じになるのは当然だが、下の展望台と大きく変わったというほどでもないが、空間の孤独さのようなものは増してきた。遠景に同じくらいの高さにみえたのが六本木ヒルズ


タワー下の土産物屋、蝋人形館などは、陳腐そのものだが1900年代からと思えば、こんなものかと。店舗や通路の蛍光灯もやけに明るく白々しい。
何より、タワーの下に造ったので、エッフェル塔のような、足元すっきりという気配は全くない。足元から塔のイメージは全然湧かない。まわりからライトアップ夜景写真を撮っている若者が少なからずいたが、皆、超見上げのアングル。どうりで。
もう一つ、一部を除いてこの塔の足元は、ほとんど景観に入って来ないことがわかった。街なか、ビル街に造ったタワーだからといっても、ちょっとした丘の上ではある。いろいろの写真を見てみたが、足元は美学的に見ないことにしている、と言っているようでもある。


タワーを出て、少し歩く。ライトアップは、青色とピンクの点々模様で、美しいのか、きれいなのか、かわいいのか、良く分からないが、素々として夜空にあった。
交差点で女の子が友達に、「見て!見て!東京タワー!きれいね!」と言っていた。
さて、ぼくはと言えば、東京タワー批判を視覚で表現しなければならなくなった。