L@村山知義、文科省企画、JIA港地域会、学生たち

【情報】


最近のことをまとめて




このところ多事、多難。一方でやりたいこと、成さねばならぬことのグランド・スケールが見えてきて、これも心理的に強い圧迫となっている。


たしかアンドレ・ジイドの日記にも、感動が複雑になり過ぎて書けない、というような下りがあった。
当時(大学時代)、そんなものかなぁ、と済ませていたが、知的レベルはどうあれ、他人事ではなくなった。


その理由の一つに、自分の考えがクリアになるに従って、あらゆる状況で黙っていなくなったことにもよる。
長年の反省で、僕がいかにお人好しだったかが良くわかってきた。それはいい人だという受けにはなるが、自分が黙っていただけで無視されたのと同じことだった。
社会的に存在の目立つ人たちの間に入ってくると、みんな只者ではない。何らかの主張や、策略とまでは言わないでも自分の価値観を通らせようとする人たちばかりとなり、ことが面倒になってくる。
「とかく、この世は住みにくい」と言った漱石の言通り。


以下にまとめて、メモ雑記とします。詳細は今後の時間のあるときの折に。



村山知義……大正末から今次大戦を越えて、混乱期を生きた前衛芸術家で、過日、世田谷美術館でそのわずかな足跡を始めて知った。東大中退、ダダ風、未来派風、クルト・シュヴィッタース風の作品、住宅設計、まともな人物画、モダン演劇、ダンス、詩歌、ポスターなどのグラフィック、マンガ映像、著作…をこなした。あァ、こういう人がやっぱりいたのだ、という率直な感想。申し訳ない、ある意味で自分の仕事、考え方の先達でもありそうなのに何も知らなかった。今後、もう少し知識を深め、紹介したい。



イノベーションプロセスにおけるデザインマネジメントの役割に関する国際ワークショップ」の感想
長いタイトル。一瞬、何ことかと戸惑うが、まさしくインダストリアル・デザインが経営にどうかかわるのかという、我々が長年懸案にしてきた課題の別の言い方。
非常に重要なことは、これが経済産業省でなく、文部科学省(科学技術政策研究所)の主催だったということ。なぜかと言うと、つい最近までデザイン問題は経産省の一括管理で、文科省にゆくと、それは経産に行ってくれと言われていたからだ。大きな時代の変化を感じざるを得ない。
ただ、内容はワークショップというだけに、我々にとってはむしろ既知の問題のおさらいのようなもの。特に日本人パネラーが御園秀一さん(㈱テクノアートリサーチ社長)、下川一哉さん(日経デザイン編集長)とすでに縁のある方々だったこともその感を強くした。外国人の講師、パネラーは、これまでの経験からも、一般に日本のインダストリアル・デザイン・マネジャーのレベルより下である。勉強のため、事実データ補足のためにわざわざ公費を使って呼んだというような穿った見方も出来る。
ここで勉強はいいとしても、大企業レベルの戦略をテーマにするのはもう片手落ちなのではないか、という実感があった。特に文科省となれば、これをどう教育にフィードバックしてゆくのかという根本課題があり、それへ常に引戻して考えてゆく必要を感じる。事情を飲み込んでいると思われた、パネル討論司会の同研究所総括主任研究官永田晃也さんには、ぜひこのあたりのことを質問してみたかったが、時間切れとのことだった。
終わって、しばし、ロビー質問していると、御園さんが寄って来られた。いわく、「参加者リストで大倉さんの名前を見て、こりゃやばいと思いました」だって。
いやいや、御園さんの講演はデザインの実務を引き合いに出してくれて、とても良かったですよ。
2月25日:政策研究大学院大学(六本木) 想海楼ホールにて



JIA港地域会の総会
諸々のいきさつと仲間の応援で、来期、つまりこの4月から取りあえず1年間、日本建築家協会港地域会(関東甲信越支部)の代表となることになった。地域の保存建築問題対応、地域への広報事業などを抱えているが、どこまでやれるか。幸い、保存問題は自分の対応でなく済みそうだが、企画事業の立案は避けられない。
特に、収益事業とボランティアの仕切りを明確にしておかないと問題が生じることが明らかになった。この問題に想像以上のバリア、あるいは認識の落差があることは、建築設計業界のある意味での社会性とその存在の難しさそのものを物語るものだということが解った。



学生たちの訪問を受ける
JIDAジュニアー(JJ)に属する学生3人の訪問を受けた。芝浦工大実践女子大のとても素直な3年生たち。名前は後で、ご本人たちの了解があれば追記しよう。
話で出てきたキーワードがある。「表参道(東京青山にある駅名、地名ではない)から仏壇まで」と、「鎧を身につけて社会へ出る」だ。
前者は、デザインプロセスで仏壇の中は自分のテリトリーだが、表参道から境内に入って、そこから寺社の中へ、最後の仏壇の前までは社会的な諸問題で、それは勉強して、あるいは実地で知らなければならないことだ、またそこで説得力も身につけなければと教えた。後者はこれをまとめて言ったこと。

話途中で、自著(デザイン力/デザイン心)に取り上げた自分の小・中学生時代の絵を見せて大盛り上り。もっともほとんどがペン画で、飛行機や軍艦ばかり。所々で西部劇のシーン。育った時代の情報源が限られていたこと、その時代の心象が出ていて心が揺らぐ。ノートや手帳に描いていて、全部で10冊以上になる。