自己満足が増やすゴミ

【論】


埋もれてゆく作品の行方


われわれが、絵(タブローと言っておくべきか)を描こうとする時に陥る欠点は、旨くは描けるという自信が邪魔して、どうしてもリアルな対象描写に陥りかねないことだ。見る方もあるレベルまでは、見える仕方がリアルさに勝手に芸術度の認知度を置いているために、相呼応してその辺に落ち着いてしまう。つまり「いい絵だね」となってしまう。しかも、そのレベルのうちに一般的な芸術創作の「適性」が含まれていると見ているから、なおさらそのレベルで満足してしまうことになりかねない。
こうして、相も変わらず印象派から大して出ていないような絵がわんさかと描かれているわけだ。永遠に残るはずもないものが、ゴミのように地球を埋めてゆく。例えばルーブルは、あと100年たっただけでも、今後蒐集するはずの作品をどう保管しようとするのだろうか。


こういう視点から、建築、工業製品デザインを見てゆくとどうなるか。