「変えなければ」と「変えたくない」の間

【論】   



「変えないと駄目だ」と「変わりたくない。変える必要はない」の間で、デザインはどうするのか


ここしばらくの間、柳井正、マハティールといった当代話題の人々の考え方を取り上げて話題としてきた。
で、僕は結局何を言いたかったのだろう。
取り上げたからには自分に問題意識があるからだが、それをどう処理しようとしているのか。そこを考えたい。
結論を先に言ってしまえば、「こういう激変の社会にあって、社会的に定位置の決まらない不確実な境界領域に座り続ける不安と、それでも絶対にこの位置から動きはしない」という自覚と覚悟の確認だったと言えるだろう。



マハティールは、互いに助け合うアジアの連帯的な心性を高く買い、グローバリゼーションの安易な受け入れが日本を駄目にしたと言っている。
それは、国民の内にあるものが自然発生的に育ってくることを良いことだとし、その中での発展や熟成を考えていくべきだと言っているのだろう。


このことに関してはすでに小泉改革を経ている日本では、二つの考え方、感じ方に分化して来ている。「意識を変えないとだめだ」と、「変えたくない。変える必要はない」という二つである。もちろんマハティールの考え方は後者を応援することになる。


「変えなければだめだ」の方を見ると、例えば、
「今、企業の寿命は30〜40年と言われています。定年で辞めるまで会社が存続している可能性は意外と低い…右肩上がりの安定した時代と違い、今は普通の会社員ですら状況に応じて行動を変える必要がある…」。だから研究し、分析して常に転職を考えておくべきであるというのだ。(瀧本哲史:出典は後記。以下も同じ)


一方、新入社員の感じ方が変わって来ている。
2005年を境に、「今の会社に一生勤めたい」が「転職しても良い」を上回り始め、どんどん増えているというデータがあるのだ。
これについて、
「…日本は江戸時代、身分制を維持し、家と土地と職業をワンセットにして、むしろ流動性を低めた。決まった土地で先祖代々の家業をつがなければならない分、最低限の生活は保障する仕組みで納得させたのです。戦後の日本でも、『転職はしにくいけれど、定年まで雇って貰え、家族を養える』という意味で、この延長線上にあったと言えます」(與那覇潤)


「変えたくない」方に傾く、こういう実体感を認めつつも與那覇は、現実に非正規雇用が拡大する激変の前に、その落差を危険なものだと心配する。(別注)



さらに、別の観点から「変えなきゃだめだ」と怒っているのが、他ならぬ柳井正だ。ここでは大学教育を例に取った苦言を引合に出すと、
教員については、「毎年、同じ内容の講義をしている。経済や経営などの社会科学は社会の動きとともに変化しているはずなのにアップデートしていない。どんどん社会から乖離している。そんな教員は要らない」
学生については、「世の中で生きていくのに必要な基礎的な教養や知っておくべきことを知っていないし、知識の絶対量も少ない。もっと知識を詰め込まないと、自分が進んでいる道が世の中の方向に合っているのかわからない。自分の判断が正しいかどうかを常に意識して行動することを習慣付けるべきだ」とし、「実業界は自分で考えて、自分で結論を出して実行できる人材を求めている」と結論付ける。
ここまで来ると同感の気持ちが出てくることも判る。「変らない。変えたくない」という方針について、結果的に「自分で結論を出して実行」しているなら「変えない」と同じことになるからだ。しかし、「自分の判断が正しいかどうかを常に意識して行動」してはいないだろうから、そこからも結局「変えない」と同じことだ。そういうこと(外的状況によって自分の居所を判断する)が「風見鶏」であり、自己の内在性が無いことを現わしていると取るのだ。



こうすると見えてくるのが、どっちもどっちということであり、時代の変化を見据えれば、検証も確かでない現在の立ち位置に安住など出来ない一方、「風見鶏」や「カメレオン」のような生き方も絶対おかしい、ということになる。
これは実はデザインの置かれている位置を現わしていると取れるのだ。
デザインが経済や経営と無縁でない以上、「風見鶏」のようであることも必要だと言われるだろう。文化や芸術の観点に立てば、手仕事にせよ、イメージの具体化にせよ、時間や周辺状況ばかりに振り回されるようなものではない、となる。



なぜ長々と両面併記のようなことを書いてきたかと言うと、デザインに組みする以上、僕らはこのどっちにも就くわけにはいかないということの確認のためだ。それぞれの主張、立場にはそれぞれの重みがある。でもデザインの立場はそれらのどちら側に就くと言うことではない。


このことに関して、もう一つ思いつくことがある。それは時間についての感覚で、「現在あるがまま」が主軸であることと、「常に自分を流動するものとし、次に起こりうることへの予備行動が意識の主流になっている」ことの違いである。美術や工芸では前者の位置づけが強く、ビジネスでは後者の意識でなければ務まらない。ここでもデザインは両者に引き裂かれているのではないか。


江戸時代の多分、太平の眠くなるような200年以上の間に、青柳正規(1月18日参照)の言うように日本文化が華開いた。また、これもすでに語られたように、曲折はあるにせよ、社会の根本ルールまでは変わらなかった高度成長期のまでの100年余りに、近代日本の華が開いた。これらのことを考える時、深い文化の形成のために歴史の事情を思わずにいられない。
僕らは経済的に生きるためだけの生活や、法令準拠のために日々を使って終わるだけでは、本当にいい仕事は出来ないだろうと感じている。
しかし、何がいい仕事か、すべてが儲かってなんぼになっている時代に、定義の定まらない仕事で説得力が出るのか。
現在の日本の産業構造と文化認識では、このようなどっちつかずの立ち位置を認める場はない。


僕らの日々はこのような不安定さの中にある。その自覚を持って耐えていかねばならないのだろう。しかし耐えるばかりでは駄目だ。この位置を社会に定立するものとして戦っていかねばならないのだ。





「」内引用と調査結果は、柳井正を除き、朝日新聞2012年6月12日:耕論「転職を望まない若者」から。柳井引用は日本経済新聞2013年1月10日:辛言直言「大学変えねば日本は沈む」より。(敬称略)

(別注)與那覇潤は日中の比較で、日本が追い込まれてきた立場を、科挙という実力主義を導入し、職業選択も自由にした一千年前から続いてきた中国の建国事情に近づくことだとして「中国化」とした。(自著「中国化する日本」)
この点では、アジアは一つと言わんばかりのマハティールの主張とは違っている。
余談だが、この與那覇潤と瀧本哲史は昨年、どこかで対談していて、割といいことを言うなと思いエール手紙を送ったことがあり、そういう視点からも引用している。