「カタチのありか」

「カタチのありか」で盛り上がる


妙に懐かしいタイトルと言えようか。
日本インダストリアルデザイナー協会(JIDA)の総会後のイベントだった。
ここで、田中一雄君が新理事長に選任されている。


スピーカーは二人いて、和田智君と、澄川伸一君。それをモデレートしたのが田中君。彼らを君とつけたのも、三人ともいかにも若いから。と言っても50歳は越しているんだとか。
とはいえ、久しぶりに「若い」連中が多かったように思え、活況を感じた。彼らはフェイスブックなどで人気のデザイナーなんだとか。


和田智君はアウディで活躍したカーデザイナー。澄川伸一君はソニーで頑張ってきた。デザインした車名、商品名まで持ち出すのはやめておく。まさしくこの「象徴的な職業経験」が彼らの人生観を形成しているのは明らかだ。


先輩づらをして辛口のコメントをすれば、どうしてこうなるかはよく分かっているつもりだが、和田君の身構え姿勢はすこしイタい。澄川君はもう少し、周辺に溶け込んでいる。
久しぶりに感じたことは、プロダクトデザイナーっていいな、ということと、まったく反対の大変だな、というまったく相反したことだった。
いいなというのは、造形からあまり離れないところでやれるという「手が届く」感とか「守備が固められる」感のこと、反対のことは、これからのデザイン概念の拡大にあっては、出来ることは限られてしまうだろうな、と言うことだった。
それにしても、僕がインダストリアルデザイナーに感じていた限界がもつ、「社会的な位置の苦しさ」を体現して戦っている二人に見えた。


がんばってもらいたいとの気持ちから、田中君も含めたこの3人に自著を送ることにした…単純な言葉にならない何かが伝えられる気がしたのだ。年寄りのお節介かな。