Micro cosmosミクロ・コスモスとマクロ・ワールドを繋ぐ 

【論】

ミクロ・コスモスとマクロ・ワールドを繋ぐ

Connecting the micro cosmos and macro world:
Looking for the new paradigm which keep acts more slow, more closer, tolerant, pleasant, and beautiful for human life. And this must be a real concept for post-capitalism on which I've been trying to reveal it.



昨日は久しぶりに落ち着いた陽の光を感じる日曜日だった。気がつくとツツジも満開。
ということで、その前夜から脳裏をよぎっていた想いを記述しておいたので転載する。



ある考えを言葉で表現するのに、他人に置き換えて一般的なストーリーとして語る文章作家としての器量の持ち主はうらやましい。そういうのが面倒なので、どうしてもいつも自分の話になる。恥ずかしいし、読んで下さる方々に申し訳ない気持ちになる。
その一方で、この足跡の紹介こそが自分が踏過しつつある新しい考え方であり、その具体例なのだから「自身を以て」言うしかない、という高揚した氣持ちにもなる。
いずれにしても主観でしかないかもしれない。だから、こんな「残りもしないし、本職(視覚での表現)でもない自慰行為」は止めて、というのが家内の勧めだ。こちらの意見を別にすればそれはそれで判るし、「作品」は別に創っているつもりだ。
で、何とか客観的な話にならないかと思いつつ、述べるしかない。




大学時代に自己の視野の狭さを感じ、もっと人間を知りたいと思った時、思いついたのが寮に入ったらどうかということだった。
当時の学生にとって校歌や寮歌は馴染みがあり、「寮に入る」というのも一種、青春のたしなみのようにも感じていた、少なくとも僕にとっては。
実家から通えなくもなかったが片道2時間も取られるし、親戚に相談するのも煩わしく、方向も地味もわからなかった東京で(現役入学だった)、入学後行き当たりばったりにすぐ入った下宿が雰囲気も居心地も悪く、数ヶ月で出たくなったという現実もあったからだ。
須藤雅路主任教授にハンコを貰いに行くと、「変なやつもいるから気をつけなさい」と。何と、二人一部屋制で気持ちが悪そうだった。でもここまで来ると引きにくい。いやなら直ぐ出ればいいんだと思い、どうせならできるだけ異分野の方がいいやと思ったのが「拡散型職能観」の出発点になったのかもしれない。

同室に選んだのが作曲家志望の橋本睦生君だった。これこそが芸術大学らしい。
彼とは結局2年を過ごし、その後、卒業してからもまたもや2年ほど、彼が見つけた下宿で2部屋を取り交流を続けた。といっても、最近ならすぐ結び付けられる関係だったのではない。僕にとっては、純粋に創作に生き、社会とか人間関係とかにまったく疎い男に深い関心を持ったのであり、反対に彼は、世俗との葛藤や対処法について悩む僕のことが面白かったのだろう。
極度の創作環境の距離が逆に二人を結び付けたとも言える。それだけにこの友から、経済学部の学生なら学べるような社会常識は一切貰えなかった。これがまた別の意味で、芸術大学の限界であろう。青春の日々を共にする生活環境から学ぶものは言葉にならないが、家族の次に来る教えの場になっていたのだ、と今になって実感する。
橋本君は僕のことを「マテリアリスト」といい、からかった。確かに彼のような世界から見ると、人の感情や心理そのものを相手にしているのでなく、得体の知れないモノの世界を相手にしている僕らのことは物質主義者のように思えたことだろう。


彼がその創造の根拠としていたのが「ミクロ・コスモス」であった。生ある人間の実に微妙な心理や、心の推移にこそ創造の原点があると信じて疑わず、その琴線の世界を「ミクロ・コスモス」と言ったのだ。そこでは心のトレモロがメロディーとなって表現に結びつく。
確かにそこには、僕にとっても受験を支援したベートーヴェン、青春のほろ苦さを感じさせたショパンシューマン、あるいはシューベルトへの想いも加担していた。もっとも、その程度のことは彼には軽くいなされたし、その狭い経験で作曲家を理解したというつもりは無いが。
当時、僕は映画への憧れがすごく、その場合は音楽も関係あるがと思っていたが、何せドラマトウルギーまでへの理解が弱い。それに職能の拡散のし過ぎだと思われた。
こちらも実務経験がないだけに、彼が自身の感じ取れない創作の限界に怯え、苦しむ姿を見て、観念としての創作の個人的原点を捕まえたと思ったのだ。
今、思い返せば作曲と視覚創作は、両者の組み合わせのプロデュースならともかく、どこにも接点が無い。明らかに創作理念に作用するものはない(ヒトラー第三帝国への夢想に活かしたワーグナーまで思い起こせば別だろうが)。それにも拘らず僕は、次元を越えれば類型の創作理念に結びつくはず、との思いを意識するようになった。
前述したように、青春のこういう体験は人の人生に少なからぬ影を落とす。
こうして僕にとっても「ミクロ・コスモス」を無視して、デザインや建築を考えられなくなった。



実際、デザインと言われているような職業の本質部分は、個人能力のうちの「ミクロ・コスモス」の適性問題で、資格や知識の問題は低い。資格や知識が巨大になるのは、それらを以て職能としそれ以外には生かさない、という既存社会が組み上げた体制の圧力が大きいからだ。
モノという認識も、空間という認識さえも、近代の流れの中で捉えているうちは、必然的に既存の社会構造の中に組み込まれて行く。
こういう自覚に至る前に、社会へ出て会社組織を知らねばならないとか、上司や企画会議での説得力、あるいは顧客の扱い方を身につけねばならない、技術者に負けない知識を獲得しなければならない、マーケットや流通事情を知りメディア対応に強くならねばならない、それには人材の豊富なできるだけ大きな会社に入らねばならない、日本の産業社会構造を知らねば説得力がない、資格を取らねば始められない、稼ぐルールを知らなければ独立出来ない、などとして振り回されてきた結果、消費産業社会の歯車に落とされてきたのが日本の多くの若者の現実だろう。それはデザイナーや建築家に留まらない。


「ミクロ・コスモス」と言うからには、人はどんな創作概念を持っても、どんな創作手法や技術を取り込んでもよいだろう。こうでなければならないという規制はない。もちろん表現の仕方によっては、技術の蓄積が必要なものもあろう。
こういう次世代型、若しくは次の世紀にまで役立つ社会貢献力を持つ創造行為は、すでにあちこちでチョロチョロ始められている。
具体的に先行例を挙げれば、例えば「一般的にいうデザイナーとしての分野」では、佐藤オオキ君がやっている仕事などはその一例と言える。何にも捕われないで、身近な感覚で楽な方を模索する。こうしたら面白そう、こうしたら楽、こうしたら新しそう、などという感じ方で模索して表現に結び付ける。続くモノや空間の具体化には、3Dマシーンとは言わずとも今では死ぬほど人材がいるし組織があるから、適切な人選や組織の選択を間違わなければ商品化や建築化などの問題は一切ない。
ここでは「自我を消し去る」という自我(「ミクロ・コスモス」)の立場を取っている。それゆえ一般的なデザインの世界にマッチしているが、「自我を消し去らない」という努力で創造に励んでもいいはずだ。その立ち位置を決めるのは創作者本人であり、経済評価は市場に任せる。


現在のグローバル化社会を思うに、この「ミクロ・コスモス」への配慮の欠如が関係していないだろうか。
科学技術の大進歩は人をも分子構造の集合体に置き換えてしまい、個人を見失いかけてきた。
また話題のピケティが言うように、資本収益率が経済成長率を常に上回る(r>g)というような資本主義の経済システムの中では、「ミクロ・コスモス」なんて誰も相手にしていない。こうして我々は自己を見失い、規制や組織に振り回されてきた。
しかし、科学技術が脳にまで分け入り、人間の心理や行動の指針にまで影響を与える世になると、逆に「ミクロ・コスモス」の存在も大きくなってくる。また、快い生活がr>gなどを超越したところに位置しているならば、こんな経済構造も気にせず、主体的に考え行動すればよい。「よりゆっくりと、より近くへ、より寛容に」に、「より楽しく、より美しく」を付け加えればそれで次世代が求める社会システムの原コンセプトは完成で、「ミクロ・コスモス」の存在意味が大きくなってくる。
つまり、ここで言っている経済理論などを問題にしていること自体が、すでに既存の社会構造に浸かっていると言うことだろう。現在の社会構造を組み替えないと「ミクロ・コスモス」とマクロの世界を結び付けることが難しいのはここから予感されてくる。
本当に自分がやりたかったこと、やってきたこと、そして今もやりたいことは、だから既存の職能としての造形家や建築士に留まるのではなく、「ミクロ・コスモス」と「マクロ・ワールド」を繋げる新しい職能の実践だったと言えそうだし、今はますますそう自覚している。それは既存の職能を越えて、新しい社会形態の提案に繋がっているはずなのだ。






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