画像と文章の「コントラスト」

今度の本について:     ●印1行:24日補記あり


一番、一般の書籍と異なる点の一つは、画像ページと記述部分との「コントラスト」ではないかと思います。
フェイスブックの投稿記事もあまり見ていないのですが、時たま個人の記録に入っていくと、この1,2年の間にかなりの画像データを紹介蓄積している人(仲間?)がいることが判りました。
ここ数年に渡って、このブログでは画像は紹介しないと言ってきたのですが、FB仲間の画像を見ていると、かなり共有してよさそうなものもあり、これではやはり相当の凝ったデータでなければ見せられない、という気持ちの一方、こういうものを掲載してくれるなら、無理に出さなくてもいいか、というような気持にもなっています。
一方、著書の方では、画像と文章のコントラストの提示が、言いたいことの重要な根底のひとつですから、画像をいい加減には扱えませんし、出すのは止めておこうなどとも言えません。ということで、この本では、画像も楽しんで貰えないか、という気持ちで編集を進めました。●ただ意図的に、自分のやってきた仕事だけで紹介しています。これも伏線の一つなのですが。
文章が書ける人はそれが感性的であれ、論理的であれ、言葉に出来ないものを表現しようとしている人とは違います。
その差は何か? 少なくともどうして実感するのか?
美術家はもちろん、デザイナーやある種の建築家は、言葉にしないで判るのが当たり前と、言葉でしか伝えられない人たちを内心バカにしますが(誰でも、というわけではありません)、逆に言葉で伝えてあげなければ理解されないのが一般社会の現実です。
何と現在は、言葉を知らない側の人間が、創造性への時代的な「仮説」を語るには、言葉の世界で説明しなければならない歴史の状況なのです。


そんな現実意識の中で、本書での画像と文章の「コントラスト」とは、文章でどんなに論理的に説明しても、画像との乖離は見逃せないということを承知している者が、そこを実感して貰うための落差感を出来るだけ大きくするということです。 それが成功したかどうかは、読んで頂いての読後感などがアマゾンのデータなどに出てくれば判るかもしれません。